illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0007 石田紋次郎の謎に迫る

石田紋次郎の話をたまにしたくなります。今日はその総集編です。長年の謎がまたひとつ氷解した気がしました。川村真二さんには申し訳ないけれど、全文を引かなくては話が成り立たないのでご容赦いただきたく存じます。

名人落語家の古今亭志ん生は、戦時中に、開拓民、軍人の慰問で満州に入り、大連で日本の敗戦を知った。

満州国は崩壊、生活に困窮し、空腹をかかえ、みすぼらしい姿で、わずかなタバコを金にしようと大連のデパートの知人を訪ねた。しかし、換金は断られた。

がっかりして志ん生はデパートを出ようとした。そのとき、見知らぬ人が声をかけてきた。相手は石田紋次郎と名乗った。以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。石田はデパート関係の仕事で来ており、志ん生の困った姿を見て、つい声をかけたのだ。石田は言った。

志ん生さんが内地へ引き揚げるとき、持って行ってもらいたいものがあるので、ご足労ですが家にきてほしい。よかったら今来てほしい」

何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した。ついて行くと、石田は途中でパンを買った。

志ん生さん、うちに行って、食事を差し上げたいが、それまでのつなぎにこれを召し上がってください」

志ん生は数日、満足に飯を食っていなかった。うれしかった。厚く礼を言って、パンを食べた。石田は、肉屋に行き、豚肉を買って来た。

「この肉は志ん生さんからの手土産ということにしてください」

志ん生はうなずいた。石田の家に着くと、石田は、出てきた奥さんに言った。

「今ね、志ん生さんに偶然会ったの。これを買ってもらっちゃったよ。せっかくのご厚意だから頂戴して、夕食をご一緒にしていただくことにした。さァはやくご飯を炊いておくれ、いただいた肉で飯を食べることにしようよ」

 川村真二「その恩の重さは、月とスッポンほどの違いがある」(日経ビジネス人文庫『働く意味 生きる意味』P.46-47)

やがて用意が出来た。石田は志ん生の大好きな酒を振る舞い、奥さんも、有名な客がお土産までもって来たと思って、とても喜び、肉も、酒もしきりに勧めてくれた。

石田は志ん生の肩身を広くして、奥さんの前で恥をかかせず、遠慮なく飯を食わせてやろうと、取りつくろってくれたのだ。志ん生は心の中で手を合わせた。ありがたさに食事中、涙がどうしてもこみ上げてくる。涙を奥さんに見せないよう天井を見上げ、巧みな話術と仕草でごまかし、あくまで悠々とした態度を演じた。

食事がひと段落つくと、石田は志ん生に内地に持って行ってもらいたいと、ふとん、洋服、毛皮の襟のついた外套を取り出して言った。

志ん生さんが持って行ってくれれば安心だ。私が内地に戻ったら、もらいに行きますからそれまでこれを着ていてください」

さらに、帰り際、石田は「さっきの肉のお礼に家内から」と1,000円の金を出した。志ん生は一瞬迷ったが、芝居を演じ切って、「かえってご迷惑を、それでは」と鷹揚に懐に入れた。

帰国が決まったとき、志ん生は石田の家に駆けつけた。石田は喜び、付け焼きの餅をたくさんくれた。

志ん生は無事帰国して石田の息子を探し出し、両親の健在を知らせた。息子は大喜びした。

前掲書P.48

数年後、石田が帰国した。志ん生は家捜しに走り、毛布などを石田の家に持って行った。

それでも気のすまない志ん生は石田宛てに手紙を認(したた)めた。

「どんなことがあっても、出来るだけのことはさせてもらいますから」

石田は返信した。

「内地に引き揚げてから、あなたには大へんなお世話になりました。どうやってそのご恩返しをしたらよいかと思っているくらいです」

志ん生は石田の言葉に胸をつまらせた。

志ん生が内地に戻り、平穏無事な世界で石田にしたことと、満州国が瓦解した中国大連で、日本人は誰も命の瀬戸際にいたとき、石田が志ん生にかけてくれた情け、その恩の重さを、志ん生は「くらべもんにはなりません。月とスッポンほどのちがいですからね」と言った。

二人の美しい交流は生涯続いた。

同P.49

*

1箇所だけわからないところがあります。それは石田紋次郎の、

以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。

この部分。声をかけられた当の志ん生も、「何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した」と、わからない。

*

それが昨晩、わかった。

芸に救われることが、人にはある。戦時下、磁場や地層が平時と反転したり捻れたりする。帰り道、僕がこのコメントを付けたあと、黄金頭さんは、僕の記事のひとつにスターをそっと置いてくれた。

「以前黄金頭さんの話を読んで随分励まされたという」

いまがそれだ。彼、黄金頭さんの心優しさは、たとえばそういうところにある。

*

石田紋次郎は僕と同じような何か、天籟を、志ん生に聞き、見たのだろう。

その志ん生は、戦後またたく間に評判になった。それまでの人生の不遇、ツケを取り返すかのように、とんとん拍子で、世に受けた。その間も志ん生は、あるいは「何のことかよくわからない」ままだったかもしれない。

石田はわかっていた。

*

天籟。てんらい。ふたつめかみっつめの意味に「詩文の調子が自然で、すぐれていること。絶妙の詩文」とある。またちなみに、桶谷秀昭が昭和20年8月15日にこのひとつめの意味「天然に発する響き。風が物に当たって鳴る音など」を聞いたとする新聞記事を後に引いて、司馬遼太郎と書簡をやりとりしている。

「復活の日」準備日記#0006 不要不急罪で叩かれる人

フォンタン手術がいまのところ術後良好とのことなのでお礼参りに出てきた。不要不急の外出は不要不急罪で官憲に棒で叩かれる噂が船橋には流れている。むろん私が流した。

お礼参りは見つかってはならない。本来お参りはそういうもので、密でなくてはならない。密の字義は家の両側から木の棒をあてがい締め付けるさまである。いま手元にないが、諸橋大漢和にざっとそのようなことが書いてあった。段落変えを減らすと、このように密である。

*

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街を歩いてつくづくと感じたのは、私は船橋という街が好きであり、街もまた私を好いていてくれているということであった。商店街(飲み屋街)に畳屋がある。人通りは少ない。

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畳屋のある通りをそのまま東に向かうと、日本一小さい東照宮がある。

船橋東照宮 - Wikipedia

私の好みだ。路地を折れ、住宅街、というか住宅の一角になぜか鳥居が座っている。

その近くには、両論併記、むしろ近頃では悪評のほうが高いやもしれぬ「ソースラーメン」発祥のお店がある。開店していた。胸をなでおろす。

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手前の出前はタイカブだろうか。ホンダのフォルムには違いない。

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湾の対岸、横浜には、中村川という渋い風情の川が高架下を流れ、長く錨してあった屋形船が解体撤去されたという、優れた文人の手による記事を最近どこかで読んだ覚えがある。写真は船橋の海老川。

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同じ足で船橋大神宮に向かい、お百度石の前で、快癒の第一歩を叶えてくれた御礼を申し伝える。もともと緑と木々の豊かな神社だが、不要不急の空気がいつにも増して清涼に感じられた。

閉じた社務所の前で、神殿を背景に、乳飲み子を抱えた若い夫妻に記念撮影を頼まれる。応じた。1歳とのこと。2019年生まれ。赤子は2100年を見ることだろう。きっと強い子になりますよとぼそぼそっと伝えると、夫妻は照れたように笑い、礼をして、離れていった。

私のいまの気がかりは、手はよく洗ったものの、私の不浄が手渡されたデジカメに残っていないかということだ。ハンカチでよく拭ったが、どうだったろう。赤子と夫妻にとって1歳のお参りは一度しかない。要にして急である。似たような3人組を数組、境内で見かけた。

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帰りに、時間があったので、N国党首の住まうマンションを横目に飲み屋街を流した。

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ラブホテルを背に、お稲荷さん(きんたま袋ではないほう)から京成船橋の南口方面を撮る。写真の最奥行きに「天ぷら」という幟(のぼりばた)が見えるだろうか。船橋「いなか亭」で検索すると見つかるが、貴君らは来るまい。私は官憲を恐れながらこそこそと足を運ぶつもりである。

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そのお稲荷さんも、私が船橋に越してきた2015年2月から5年2ヶ月弱、少しずつ姿を変えていた。お稲荷さんの裏手(蟻の門渡りではないほう)に緑色のブルーシートが掛けられ、おそらく補修であろう、工事が進められていた。

*

以上は前置き(1)である。

この、旧赤線から駅に向かう筋道を私は愛しており、ここがやられたら船橋の終わりだと思い定めている。それが「いなか屋」の角を折れるや、胸に「路上の客引きを取り締まりましょう」的な(すぐに目を背けたので正確なフレーズは忘れた)ワッペンをかけた、あれは自警団だろうか、何だろうか、ALSOCか警察だかの制服に身を包んだ10人ほどの集団とすれ違って頭を抱えた。

*

これくらい長々と呪い(まじない)を駆使したならば、貴君らは写真に忍ばせたねこちゃんたちの数を忘れたに違いない。自粛要請からわずか a few days に過ぎないが、船橋繁華街を占める、ねこちゃんのテリトリーが拡大した気配が感じられる。

これが前置きの(2)。

*

私は、CALMINさんのところのはる君のフォンタン手術がまずは着実な第一歩を月面に刻んだとCNNの報道で知ってから、お礼参り(教師をぼこぼこにするほうではないやつ)をしなくてはと密かに思ってきた。それが、このたびようやく叶ったのである。

「密、密、密」

私はつぶやき、だれにも見られないように足を運んだ。そのつもりだった。きんたまであるとか、立花孝志であるとか、あらゆる秘術を駆使したつもりである。ねこが、その道中を見守ってくれていた。さすが、ねこちゃんである。

本心は悟られてはならない。本音論などは、少し離れたところに住むはずの、元フジテレビキャスターに任せておけばいい。

私の秘術はあともう少しで、うまくいくところだった。それが見つかってしまったのである。私の得た情報によるところ、中京のお百度勢は、残り25回に向かっているはずであった。インターネットはわるい文明といわざるを得ない。

よって私は願を成就するために、再び初めから、恥を晒しつつ、生き延びなくてはならない。

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不惜身命。はる君、私たち役に立たない老兵が、君の未来を願っている。願うのと託すのとは違う。私たちの流派はむやみに託したりしない。むしろ災厄を引き受けるほうに優れている。だからたとえば、今日これからUSとGBとの夜間会議が待っている(NYCが心配だ)。

私は会議中に腕組みをし、目を閉じ、考えているふりをしつつ、願い、確かめて頷くだろう(…はる…晴れは、雲居を払うの意だ…OK…) ケホケホ。これは咳払い。#不幸にもまたそういうことを書いてしまう。

*

それら何やかやの、合間を縫うようにして、ここしかないタイミングで街を歩くことができた。

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いい、散策だった。どうやら、私は自分が思う以上に、船橋の街を好み、街のほうでも、私を憎からず思ってくれているらしい。

大切なことなので書く繰り返し 575

にゃーん😺😺😺

「復活の日」準備日記#0004

喉元過ぎれば熱さを忘れる。熱しやすく冷めやすい。さっと潮が引くように。

いろんないいかたがあるけれど、緊急事態宣言発令翌朝のJR船橋駅西船橋駅からは、それらの《予兆》が感じられた。

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静かだ。人通りが少ない。だが、と思った。どこかで見た覚えがある。盆と正月だ。

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傾いていて申し訳ない。勤め人の首がみな似た角度で傾き、マスクをして、スマホか、新聞か、つま先の先を見て首をすくめている。その角度に、カメラ(スマホ)も、なびいてしまったようだった。

この風景も、盆暮れ正月くらいの期間は持続しようが、其れが過ぎれば元の木阿弥だろう。経済が続いていれば。続いていなければ、より乾いた空虚が写真に収まることになる。その先に、5月1日、メーデーが待っている。皮肉か好機か。

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今日、新しく感じたことはほとんど1点だけ。

www.tsr-net.co.jp

「必要」だが「不急」は《控えろ》と助さん角さんが、安倍晋三を印籠にして、な。(´;ω;`) メーデー蜂起あり得るなあ。 - cj3029412 のブックマーク / はてなブックマーク

メーデー蜂起は別にしても、この「控える」の用法が私にはわからなくて(具体的に何をどうしろというのか)、

同地裁は、「(破産など)申立ての受理は行うが、緊急度が高くなければ、開始決定は緊急事態宣言の解除まで処理を停止する」と説明

ただでさえ時間がかかるといわれる開始決定プロセスが、ここに「緊急度が高くなければ」を挟み込むのは、却って平常運転をアッピールする狙いかとか、やっぱり「要請」なのかとか。

日本的なものが、毎日、何かしら、新しい意匠を凝らした着物から、二人羽織の手を伸ばすようにして、私たちに牙を向けている。

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悲しかったのは、やはりこの災禍の日々に、関根潤三さんが亡くなったこと。関根さんのことは、日を稿を改めて、記したい。

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明日も出社する。復活の日は、掛け値なしで、遠のいたように見えた。

「復活の日」準備日記#0003

本日は夕刻の帰り、間近まちなかで「新型コロナウィルス咳だ」と直観する男性の喉払いの音を聞くとともに、市川塩浜駅の下りホームでその咳をきっかけに蜘蛛の子を散らすように行列がばらけた様子を見た、初めての日だった。

  • 新型コロナウィルスは、都下ほとんどの産業分野で感染者が出ていると見ていいだろう。ばらばらと、いろんな産業、企業、地域から出ているようだが、(自粛1)ということは(自粛2)。
  • どこに、そのための自分なりの日常生活での観測地点を持つかという話である。
  • 私の場合それは丸の内の某所と、JR武蔵野線市川塩浜駅
  • 前者については、ちょっとわけありすぎて書けない。後者は、これは比較的ロジックの追いやすい話だ。コールセンターのような人員集約型のサービス業務で雇用サイクルが比較的短いこと。ということは(自粛3)。密閉した空間で、組織としては徹底した身分社会であり、構成としては雑多な出自が―現実問題として―入り交じる。
  • そして、(コールセンターにはない特徴として)ローラースケートを履いて(履かされて)、汗水を垂らし、喘ぎながら、競争を強いられ、ものに触れる。行き帰りは、貸し切りバスか、路線価のそんなに高くない電車で行う。
  • ついでにいえば、外資でも内資でも、そのサービスが私たちの暮らしにあまりに浸透してしまったために、隠蔽体質にもなってしまった。感染者の発生を、極度におそれる。(写真はこの日の朝のJR船橋駅ホーム)

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  • 「徹底した消毒、管理体制を敷いている」と、あるいはプレスリリースが出されるかもしれない。だからご心配にはお呼びませんと。

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  • 新型コロナウィルスの蔓延が惹起するもののひとつは、労働問題である。むしろ、階級問題といっていい段階かもしれない。当たり前といえば当たり前の話。
  • だとすれば、安倍晋三も、麻生太郎も、菅義偉も、(話を端折る)だれの強行をだれがどの側面から反対した、諌めた、江川紹子に電話を掛けた、というのだって、それぞれが(江川さんを除く)権力の相互補完関係にあるとみれば(与党トップなのだから当然だ)、階級問題としてみれば大差ない話。

労働者は順番に負けていく。今日、その法螺貝が鳴るのを黒船の近くで聞いた。

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追伸。危機には、普段は抑制的な、ものを書く人間の本質の一端が、増幅して現れる。黄金頭さんがハイテンションになり、私がドン引きするような暗い調子になったのは、令和の文学にとって、逆でなくてよかった。明日も出社する。斃れるのは私ひとりでいい。

そうだ、帰りに短い距離だけ乗った都営バスの窓が開いていて、風が流れていたのが新鮮だった。復活の日はまだまだ遠い。

「復活の日」準備日記#0002

安倍晋三による緊急事態宣言の日。

  • 帰り、東陽町に立ち寄る。チェーンのカレーショップの椅子が一石飛びに「お客様の健康のため」とかいう名目で着席が禁じられる。午後6時
  • 東西線下り、マスクを着用していない、目つきのよくない労務者(あえてこの語を選ぶ)が目につく。改めて、マスクを着用している人たちの供給元はどこなのだろう。
  • 19時前、船橋駅シャポー口でサイネージを2枚見て(これも)改めて、私たち日本人の従順な手際のよさに心の中で頭を抱える。
  • 「伴う」のである。主体性や責任にモザイクがかけられる。もちろん、この用法にシャポー船橋に意図があるわけではなかろう。ただの慣用、どこかで目にしたお役所言葉か、過去の類似の文書から「これなら無難」と引いたものだろう。

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  • よりショックを覚えたのは、上のサイネージから右に90度のところに立てられた、次。「伴」った上に、「お客様と従業員の健康と安全確保を目的に」と、いわずもがなの名目が掲げられている。(無意識下に)別の目的、「本当はこの名目がなければ成り立たなかった」感が、嫌ーな感じで、出されている。

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  • そして、「お客様にご迷惑をお掛けする」のはわかっているが、「ご理解」と「ご協力」を求めている。責任系統が上と下に、いつものやり方でかけ流し源泉の湯から何キロだか知らないけれども、じゃぶじゃぶされている。
  • 「シャポー船橋は大丈夫です」と、高らかに宣言してほしかった。
  • しかし、繰り返すが、これは私が愛するシャポー船橋の責任ではない。
  • 実はこれと同じように洗練を極めた、社内通達文書が、弊社(日本法人)でも複数出され、結局のところ責任の所在がぼかされているために、読解力のある若手ほど、どの文言に、どのような体系と優先順位をつけて従い、判断すればいいか、不満をもつシーンが本日みられた。
  • 私は、特に本日は身近なところで自粛要請と緊急事態宣言の複数の解像度から眺め直してみたつもりだが、そのどの度数、切り取りをもっても、天皇制と無責任の体系の再発をみて、(率直にいえば)うれしく、空恐ろしくなり、記録しておこうと思った次第。
  • 復活の日は、だいぶ遠いようである。

「復活の日」準備日記#0001

昼日中のつぶやきはtwitterのほうへ。そちらでは書ききれないことやtwitter以外の活動時間帯に頭を過ぎったことをこちらへ。

  • 船橋から丸の内に向かう経路はいくつかある。いろいろあって、東西線あり、京葉線ありで向かうのだが、京葉線(武蔵野線)の道中停車駅は、いろいろと味わいが深い。
  • 嫌味ないいかたになったら申し訳ない。山本周五郎青べか物語」の浦粕の風情と、その(昭和初期からの)延長にある労働者の街、労働者そのものが、乗ったり降りたりする。たとえば、市川塩浜の通過前後には、Amazonの物流倉庫が見える。
  • 彼らの、年齢層はさまざまであるが、衣服が、年を追って貧しくなっている。このことはよくない兆しだと2015年以来、感じてきたが、ここ2週間、加速を覚える。概ね、まず汚くなるのは男性の中高年、次が男性の比較的若年層、そして、女性。髪留めや、履物にも見て取れる。見間違いであってほしい。

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  • おそらく、首相私邸に潜り込んだ嶋田えり(しまえり)は前触れで、閣僚のひとりかふたりが凶弾か、凶刃に倒れるだろう。このままいけば、であるが。都市部での暴動かもしれない。
  • 我慢比べの期間はどれくらいか。ふた月、もつだろうか。
  • 一形態として、ネットカフェから押し出された住所不定者が、オンラインの投げ銭で使嗾されるような、社会階層のひずみや断絶を顕にする姿をとるのではないかと思う。

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  • 私もこんな日乗を書き留めるのはいかがなものかと思う。同時に、危機に押され、感受性の荒れた底近くを晒すのはいましかなかろうとも思う。

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  • 家路に着こうとする。窓辺に光るものがある。ふたりのねこ、その眼だ。この状況に、ねこが家で待っていてくれる。待っていてくれるのか、私が許可なく居座りに戻っているのかはわからない。
  • 換気をした。もちろん、ねこのため。

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  • ではまた明日。生きていたらお会いしましょう。にゃーん😺😺😺
  • (追記)観察範囲問題だが、twitterタイムラインの見え方が4月に入ってから変わった気がする。