illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

批評と、創作あるいは演じる(=イリュージョン)の間で、葛藤の多い表現者生涯を送った噺家といえば、立川談志でしょう。

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この動画ではありませんが、談志は生涯、「わが内なる批評家」と「噺家」を秤にかけたときに、前者が絶えず上回ってしまうことを「だから自分はいけない」「最大の長所であり弱点」といったように表現し、嘆いてみせています。

この談志に倣えば、私も本質的には批評家、ないしは批評精神のほうが上回るタイプです。

ですけれど、それ(=談志的作法)は、したくないんですね。ちょいとばかり、ずらして見せたい。なぜなら、創作のほうが、圧倒的に上です。談志だってそんなことは先刻承知之介。

いえ、現実には、大半の作品は批評のほうが上だと思います。でも、「創作のほうが、圧倒的に上」といえるような作家と、もし、出会ったとしたら、ですよ、私は批評は基本的に、鞘に収めます。

私も、貴君批評家? あるいは表現者? と問われたら、違うと答えます。下手だしね。ところがその、内なる批評家を持たない表現者の、昨今夥しいことといったら、ないやね。

ちなみに、談志にとっては、志ん朝が、唯一、同時代にそうと呼べる相手だったのだろうと思います。いくつかの動画や音源が、そのことを物語っています。