illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん(お嬢篇)

このあいだ、はなちゃんを訪ねにきてくれたお嬢と、船橋駅からの行き帰りの道に、旅の話をした。

お嬢は国内旅行を趣味にしていて、47都道府県すべて回り終えたのかとおれは思っていたのだが、まだ6県残っているらしい。山口、徳島、長崎…あとどこかは聞きそびれた。

2011年の震災のあと、お嬢を誘ってしきりに国内旅行に出たのは、ひとつにはおれがいつこの世を去っても構わないと思っていたことがある。できるだけの思い出を、お嬢に残してあげたいと思っていた。そこには、お嬢が大好きなおれの別れた妻と離婚したことへの引け目も、もちろんあった。

われわれは、星空の下、京成線の高架をときおり見上げながら、これまでに出向いた旅先を指折り数えた。苫小牧、倉敷、八重山神津島奥多摩の鍾乳洞…思えば「あまり多く出かけていなかったね。でも、行けてよかった」「うん」「限られた時間をやりくりして、行っておいてよかった」

本当に尋ねたいことはほかにあった。われわれは互いに自らの口を封じて旅の思い出を語った。お嬢は神津島が印象に残ったらしかった。調布飛行場から、家々がよく作られたミニチュアのように見える。島では風が強くて思うような外出はできなかったけれど、「こんど行くときには温泉に行きたい」とお嬢はうれしそうにいった。おれは尋ねた。「また、行けそう?」「もちろん」「じゃあ、旦那さんもまとめて面倒を見る」「うんうん」

*

旦那君、すまない。おれはお嬢をそそのかして、君がいない旅をお膳立てする可能性が高い。来るなといっているのではない。もちろん来てくれたら大歓迎をする。あごあしのすべてはおれがもつ。楽しい三人旅になるだろうと思う。楽しみにもしている。

だが、すまないね。貴君らの夫婦生活にも不首尾というものがあるだろう。どんな夫婦にも、それはある。

そのときの息抜きは、おれだ。譲る気はない。世界が滅びたのなら、おれも譲るべきは譲ろう。しかしわれわれの意に反して世界は続いている。

帰り道、お嬢と、長崎の五島列島に行く約束をした。貴君も誘いたい。追って連絡する。