illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ある秘密組織の話

昨日、あるファーマ(製薬会社)に呼ばれて、会議室で「普段はお見せしないようなものなのですが」と、1枚の印刷した画像を手渡された。上段に、女の子の笑顔と、「お薬ありがとうございます。がんばります♥」と書かれたカード。下段に、その子が撮影したという病院に近い公園に咲く花が並んでいた。

「ほら、先日メンヘラさんにがんばっていただいた」

と、ファーマの方はいった。

「ああ、あの時のものですね。よかった。ありがとうございました」

*

グローバルの本社実務部門と、関連子会社のシステム部門の間の意思疎通に行き違いがあったらしく、薬剤の配送が間に合いそうにない事案が3ヶ月ほど前に、起こった。治験薬の配送は、ファーマ、患者さん、そして私たち、治験計画と物流をアレンジして管理と配送を行う部隊の、数ヶ月に及ぶ入念な調整によって実現する。先日、私にどこか似た語り口の増田が、その「ラスト1マイル」の話を書いていた。

猫背のかりあげゴルゴ氏の話

が、そのラスト1マイルに行き着く前の上流工程では、ビジネスの生臭い話あり、システムトラブルあり、コミュニケーションギャップあり、と、よほどの胆力がないと長くは務まらないといわれる世界でもある。

*

その先日のケースで、粘り強い、冷静な、タフな交渉と調整に乗り出して、話をまとめたのが私と私のチームであった。一時は、これは間に合わない、ペナルティを支払って日程再調整のカード(最後の切り札である。1回でも遅配があれば、マネージャー以上は減俸を覚悟しなければならない)を切るしかないと腹をくくったこともあった。

*

「患者さんも、投与を心待ちにしていらっしゃいます。メンヘラさん、どうにか。信頼しています」

苦しい状況の中、ファーマ氏が、こちらの弱気になりつつあった気配をおそらく察して、プロジェクトのアドレスとは分けて、私信のメールを送ってくれた。私はそういわれると弱い。からきし弱い。理由は自分でもよくわからないのだが、「患者さんが待っている」といわれると、私には謎の軍神ゴッドマーズが宿り、不思議な力が蘇りみなぎって、たいていのことは何でもしてしまうのである。

f:id:cj3029412:20190525072738p:plain

結局は、輸入通関がぎりぎり間に合って、それなら、せっかくだからということで自分で届けた。配送の後、病院側の薬剤部長さんがよくできた、理解のある方で、「内緒ですよ」といって、実際に投薬が行われる予定の小児病棟をわざと通過するように、私の前に立って帰り道の案内をしてくださった。

*

話はこれで終わらない。

*

知る人ぞ知る話だけれど、治験には、実薬とプラセボが対で投与されるのが習わしである(いろいろあるにはあるのだが、ここではざっくり述べた)。実薬投与群と、プラセボ投与群に、主治医も看護師も薬剤師も患者も、いまここで投与されるのがどちらなのかわからない状態で、投与され、効果が測定される(盲検)。

今回の、難しい病気の女の子にも、そのご家族にも、このことは事前に十分な説明が尽くされ、同意を得てから治験に臨む。女の子は、それでも実薬であること期待するし、私はそのことを人道的でないと思い、そんな状況で手紙を書いてくれたので、気持ちに応えてここに書いておかなくてはと思った。

*

手渡された花束に、花束で応えることはできない。そのとき、それでも諦めなければ、種を蒔くことなら、できるかもしれない。

*

ちなみに、世界規模で見れば、全て実薬で行っても問題のない統計処理があるとかで、むろん、私は「全実薬推進派」だ。

軍神ゴッドマーズがそうしてほしいと私をそそのかすのである。さらに余談だが、たまに、ファーマとか、厚労省とか、東京税関に足を運んで情報収集と交渉をしている理由のひとつがそれだったりする。

*

一方で、現実には、だからこそ、だれか、必要最小限の人は、その薬剤X、番号20190525-P41523が、実薬なのかプラセボなのかを正確にトレースしておかなければならない。ファーマ、治験マネジメント会社、物流会社それぞれのごく一部の担当者、およびピッカー(倉庫から薬剤X、番号20190525-P41523を正確に取り出す係)である。本当は、「トレースできる」と口外することも、よくない。したがって、以下は創作ポエムである。

*

冒頭に記した打ち合わせの間、私の頭を占めていたのは、「どうか実薬でありますように」ということだった。ファーマの方も、

「オフレコにしてくださいね。今回のようなことがあると、私も実薬であれば、なんてことを願ってしまいます」

とおっしゃった。そして、

「あ、もちろんメンヘラさんのところではしっかり管理されているからお分かりになるのでしょうけれど」

いい添えて、笑った。

氏は、いい方なのである。私は、氏に、生涯ねこちゃんたちに愛されるお呪いを心の中でつぶやき、ファーマを後にした。

*

オフィスに着くなり、私は薬剤の出荷履歴を検索した。証跡の画像をフォルダから取り出した。

実は、上のようには記したが、番号ひとつひとつに、実薬かプラセボかのフラグが立っているわけではない。そんな一覧性のあるデータが存在し、電算システムから抜き出せるとしたら、私たちは業界に暗躍する産業スパイに目をつけられ、どこかに誘拐、連行されてしまう。実際、南米ではそのような事例があったとも聞く。

難病に苦しむ子をもつ父親が、偶然、ファーマの、それを知る立場にある男性と知り合う。子には何としても実薬を配したい。思い余って、誘拐を企てたのだという。もちろんそれだけでは複雑なプロセスに阻まれ、実効力は持たない。

けれど、気持ちは痛いほどよくわかる。私は誘拐を企てる父親に近しい種類の人間だ。

*

話を戻して、複合的なノウハウにより、100パーセント間違いなく、今回のこの配送の何番は実薬である、プラセボであるという、確認をとることはできる(できなければ、確実な出荷はできず、ビジネスとして成り立たない)。

*

私はトイレの個室に駆け込んで、何度も拳を強く握り、恥ずかしながら涙を流し、よよん君に感謝した。そして、ファーマ氏と、女の子と、この気持ちを分かち合うことができない立場を惜しんだ。

*

はてなには、id:CALMINさん、id:kozikokozirouさんほか、病を宿したり、それを見守ったりしている方が少なからずいらっしゃることと思う。病院外で、こんなひとコマがあるということをお読みいただき、少しでも励みにしていただけたなら、うれしい。