illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

Plastic Loveな夜に(仮)

いつもの如く、流行りに乗るつもりはまるでなくて。

Friday Night PlansのPlastic Love。いいよねって話を。

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東京って、基本、虚構だと思います。いつからだろう? 64年の先の東京五輪から、虚構の地盤が形作られた? 80年代には虚構、記号だというその都市論、都市感覚が、それ自体、僕のような北関東民には堪えると同時に、あこがれとして作用しました。宇都宮線なり、湘南新宿ラインなりに乗って上京して、確かに東京駅に来ているんだけど、東京駅も渋谷駅も、目指した東京ではないという感じ方が、当時も今も、ずっとある。で、その、不確定原理めいた感じ方、都市のあり方に対する、自分の田舎者ぽさが、好き。ずっと、手の届きそうで届かない、遠くにいてほしい。

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久しぶりに、Friday Night Plansに、その「手の届かなさ」を味あわせてもらった。90年頃の竹内まりやも、手の届かない感じだったんだけど、いま2019年には手が届いてしまう勘違いをしてしまう。Friday Night Plansは、これは明白に届かない。神宮前、青山一丁目あたりに行けば、夜の流れているクラブあるのか? と、こう直線的に尋ねてしまわざるを得ない、上京者というのはそういう感じ方をする存在であって。

道すがら、銘々の流義に則り、東に住む者は西の空に、西に住む者は東の空に向かって淡い祈りを捧げている。その日ばかりは、酒や煙草を絶った人もいると聞いた。

やがて宵が立ち込め、それやこれやを押し流してくれる夜の帳が下り、酒場と辺り一面を覆い尽くす、その中を、冒険者たちはひとり、またひとりと踊りおえていった。後ろを振り返り振り返りし、ことばにならないつぶやきを夜に溶かしながら、コンクリートの壁の合間に煙が吸い込まれていったのは、その日、ずいぶん遅くなってからのことだった。

 第8章:くまとねこの酒場 - セカンド・オピニオン(船橋海神) - カクヨム

これが、おれの夜に隣接せんとする限界なわけだ。後悔はしていないけどなw

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それで、いきなり刃を振りかざすわけだけど、「東京カレンダー」の、あのダサさ、読むに耐えなさは何だろうと。

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距離感がないんだよね。手の届かないものに、だからわれわれは憧れを感じるわけだ。それが、「東京カレンダー」は、高嶺の花を高嶺の花だといい、具体的なディテールとともに、ここにこういうシチュエーションで、この電話番号にかければ寿司屋の予約ができて、おねえちゃんとめしが食えると、こういうわけだ。

金出せば手が届くんだよ。そういう梅木雄平的な上っ面を、古来、野暮という。やだよおれそんなダサいの。

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何かを主張したいわけではないんだ。ふと、「東京カレンダー」の話って、竹内まりや=山下達郎 / Friday Night Plansを対置することによって、80年代の匂いを知っている人には、そこそこ頷いてもらえるんじゃないかなって。ほかにもいくつか、東京ウォーカー 、ぴあの話とか、補助線引こうかと思ったんだけど、そこまでするまでもないかなって。

ジオラマボーイ☆パノラマガール 新装版

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