illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

黄金頭さんのこと / 第2集に向けて

先日、第2集の相談ということで、黄金頭さんと、あともうお一方、関西から上京された実質的な専属編集担当の方と、お会いした。

僕が東京駅、丸の内改札近くの改札口に待ち合わせ定刻の15分前に着くと、黄金頭さんはすでにそこに静かに立っていた。声をかけ、二人で銘々に携帯電話を触りながら、近況を尋ね合う。彼の、身体と精神の調子―バイオリズムというのかな―は、書くものが伝えてきた、ひところの落ち込みから、だいぶ持ち直したようだった。僕は安心した。

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その日は、平成の終わりにかなり近かったので、それなら始まりを振り返るのは彼のVOW的な知性に喜ばしいことだろうと思い、

1989年1月7日のスポーツ紙、朝刊一面を軒並み飾ったのは「小柳ルミ子大澄賢也入籍」でした。

と僕はネタを振った。彼は喜んで、頷いてくれた。

そうこうしているうちに、編集担当の方が見えた。われわれは何をしようというのでもなく、第2集の相談ができる場所であればどこでもよくて、前日に予約を入れておいた飯田橋カラオケボックスに向かった。

東京駅から向かう中央線の道すがら、後楽園を横切ったので、

もうかれこれ45年以上前、まだ東京ドームがなかったころ、山際淳司は学園紛争さなかの大学がふと嫌になると当時の後楽園球場を見に来て、そんな中でよほど印象的だったのか、「カクテル光線」というフレーズを残しています。

だとか、

JRA銀行でも、ボクシングでも構わないので、いつかちゃんとイベントを選んでスケジュールを組んで、見に来ましょう。

だとかいった話をした。黄金頭さんはそのひとつひとつに耳を傾け、彼のVOW的な知識の貯蔵庫にしまってくれたように見えた。

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カラオケ店に入る前に、僕はひとつ聞きたいことがあった。飯田橋のホームで、

西で、平民金子さんがなさっているのだから、東の巨匠として、東銀座あたりの画廊を借りて、写真を展示し、ご本人が立ってサイン会、握手会でもどうでしょう。写真もお撮りになるでしょう?

水を向けると、巨匠は、

いやいやいや。とんでもない。金子さんは、学校で写真をちゃんと習って、プロになろうかという方です。彼の写真はうまい。それと比べたら自分は…

と、しかし、ここで引いては専属文芸評論家のそれこそ名折れ、

それなら、書いた原稿、テキストを写真に撮って、飾ればいい。僕は見に行きます。僕はそれで満足。拝むし。第1集の集客、売れ行きからいったら客足は固い。相当に見込めます。画家を自称するMY…ピーだって…

とやんわり食い下がると、巨匠は笑ってまんざらでもない表情を見せた。

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持ち込みOK店だったので、われわれは近くのコンビニで軽い食料と飲料を調達してカラオケ室に入った。3人輪番で曲を入れ、歌ったり吟じたり呪ったり跳ねたりした。黄金頭さんは、(自粛)とか(自粛)とか(自粛)とかを入れて歌った。1曲だけ、ここに記しても構わない曲があるとすれば、それでも相当にやばいのだが、これではないかしらんと思う。

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このように、彼の知性とネタは、いつどこからどの角度から打ち出されるか、余人の想像を大きく外してくれる。きわめて東スポ的である。そして東スポには収まらない。私は(この人の作品が学校教科書に載るには少なく見積もって200年はかかるな…)と思いながら、その200年の1年目の春に、席を共にしている光栄に感謝した。

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それから、われわれは新宿の出版企画/物産展のようなところに向かった。道中、

id:toyaさんに助力をお願いして、はてな方面は彼女から、もう一方向で神奈川新聞に企画を持ち込んで、話題にしてもらうとか、ないかなあ。

と、やんわり食い下がって水を向けると、師匠は、

toyaさん(概念)は、確か隣りの小学校か中学校つながりの方で…でも、たかがこんないちブロガーの夢のような話に付き合って、はてなを動かせるだけの権力があるかというと…(無理強いはできない)(彼女は彼女で持っている役回りがあるわけだし)

とおっしゃる。

それなら、僕が勝手に、この日のことを書いて、しれっとIDコールを投げましょう。まめなtoyaさんのことだから、何かしら、反応してくれるのではないかと思います。

そんなわけで、この記事を書いています。

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新宿の展示のあと、僕は急ぎの用事が入って(僕が世過ぎに担う、GWの医薬品物流はそれはもうてんやわんやの大騒ぎでした)、せっかく入った飲み屋をほどなく中座しなくてはならなかったのだけれど、黄金頭さんは、第2集を出すことに、控えめな好感触を伝えてくれた。

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ここ数日、なんだかんだいって大向う受けを狙う、編集者だかその弟子だか知らないのがうんたらかんたらしているけれども、私は200年後、300年後を狙って、それはちょうど、今日、賀茂真淵本居宣長の書簡と一夜の対話に私たちが膝を打ち、書き物を残してくれたことに深く温かい息をつき、手を合わせる、その200年後300年後から見た「今/当時」を願いたいと思った。彼、黄金頭さんの「もの(尽くし)」「悲しみ」の感性は、いまさらいうまでもないが、本物だ。

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その本格の知性と感性を受け止める器を持ち合わせない、責はむしろ私たちの側にあるだろう。第2集は、寺山修司的なエッセイを軸にして、秋口あたりに出る可能性がいくぶんある。スターもブクマもいらないが、しかるべき暁には、ぜひ、(何の因果がこれを目にしたみなさんに)助力をお願いしたい。