illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

あさごはんの時間

いえ、いまでこそこうして自炊だなんていっていますが、長いこと鬱だったんです。15か16のときにむずかしい本を読みすぎて、食事が喉を通らなくなった。言葉も出なくなりました。押し黙って、いつも何か「正しい言葉」のようなものを探していた気がします。

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それまでは活発な、明るい子だったんですが。1,980g、44cmの早産で生まれました。座布団あるでしょう? あれの対角線にすっぽり収まるんです。くーちゃんが座布団に乗っている姿を見ると何だか無性に愛おしくなるのは、そのとき残存記憶かもしれません。その未熟児を、ばあさんが命をつないでくれました。にんじんと牛乳を中心に、とにかくいろんなものをすりつぶしては口に入れてくれた。そう、聞いています。

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おかげで12歳13歳ころまでは健康優良児。片道12、3キロの学校までの道のりを自転車で通っていましたから、臀部の筋肉がいい形に発達して。小ぶりで、若いころは尻の形は男からも女からもほめられた記憶ばかりです。16歳春で174cm、56kg、体脂肪率は1桁だったと思います。水泳やってたから計っていた。

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自分を愛してくれた人がほぼ必ず自分より先に死ぬことへの恐怖でした。その答えがどうしても欲しかった。納得のいく答えが得られぬまでも、限界線を自分の手と足でなぞって引いておきたかった。ばあさんが、僕が16のときに脳梗塞にかかって。僕は何ひとつ恩を返していない。話は変わりますが僕は「ごんぎつね」が好きでして。世界はああいう構造で出来ている。違いますか?

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30年の断続的な鬱です。精神がいよいよやばくなると拒食症的になる。「自分は死ぬのが本当だ」という気持ちは、ずっとあります。早まって生まれてきて、命はつながれたものの、つないでくれた人に何もできずに、立身出世だ何だって、いい学校にいって、そこそこの会社に入って、だからそれが何だろう。世界は亡くなった人の数のほうが多い。生は芥子粒みたいなものでしょう。

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治験ってご存知ですか。製薬会社が薬剤を開発する。億単位の巨額の投資を行い、長いもので15年20年の開発と試験期間をおいて、薬が一般市場にデビューする。その、治験のアレンジをするベンチャーの立ち上げに携わっています。いまの流行りのひとつは、希少疾患への世界的な対応です。スイス、スウェーデンアメリカ、イギリス、ドイツ、あるいは中国で、薬を開発し、特定遺伝子、特定疾患をもつ、いままさに病を携えている人に、実薬と偽薬(プラセボ)を投与し、統計的処理を行う。それをエビデンスとして厚生労働省から認可をもらう。ものすごくかいつまんでいえば、そんな感じ。製薬、医局、患者さん、対照群の手配、倉庫、物流、日程管理、人員管理、薬剤管理、予算、売上、環境、国内外の出張…

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鬱は、苦しいですよ。自分に効きそうな薬がその辺の試験にないかって思うこともある。ないです(笑)。ただ、この仕事を任されて、激務なんだけれど、僕は負けないと思っている。ベンチャーに手を挙げたときの上役との面接で、「理由はいまはお話できません。ただ、僕はこの仕事の尊さを知っている。待っている患者さんがいることを知っています。その、ピューリタニズムにも似た宗教的確信が、これまでどの仕事についても得られなかった。これは違う。僕は負けない。ただ、理由はいえません」「ご家族で何か重い病気でも?」「いえ、違います。そうでもあるし、そういうことでもありません。すみません。僕をこのプロジェクトに投入してください」

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たまに、2002年2月に始まった試験がないかってデータベースを検索することもあります。がん、白血病アルツハイマー。あるよね。いまに続いているものも。そうだろうなあと思う。

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先日、うれしいことがありました。「メンヘラさん、みんなで一緒にお弁当食べませんか? 食べましょうよ!」って、職場の女の子がお昼に誘ってくれた。みんな、僕の弁当に興味を持っていたらしい。それがいつもばたばた書類にサインをしたり、来客や何やかや、そもそも難しい顔をしているというので、声をかけにくかったらしい。誘われて、仲間と心から楽しく、おいしくお弁当を食べるなんて、実に30年振りのこと。

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みんな、よく働くスタッフばかり。そういう人を選んでつまんでくるわけだけれど(笑)。だから、そんなふうにしてみんなでお弁当を食べていると、ふと、こみ上げてくるものがあってね。困ったものです。

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おべんとうの時間

おべんとうの時間