今週のお題「読書の秋」
例の、紫式部が清少納言を悪くいったとかいう箇所ですが、私は少し違った見方をしています。語釈の基本は品詞分解にありますので、まず品詞分解を行い、忠実訳を行うことで、その違いを示したいと思います。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text55.html
- 清少納言:名詞
- こそ:係助詞。強調。いろいろな書き手がいる中で「清少納言はとりわけ」「清少納言といえば~の代名詞」
- したり顔に:ナリ活用形容動詞「したり顔なり」連用形。訳知り顔で
- いみじう:シク活用形容詞「いみじ」連用形。在り方や程度が突出しているさまを表します。何が「いみじ」なのか、どう現代語で表現するのが適切かは文脈に依存します。目立ちたがり屋さん、くらいの含みを僕は感じます。
- はべり:ラ行四段活用動詞「はべる」連用形。「あり」の丁寧。書き手(紫式部)から、読みてへの敬意を添える。清少納言への敬意ではないことに留意。
- ける:過去伝聞の助動詞「けり」連体形。「と聞いています(が)」
- 人:名詞。人は「世間」「人間」「他人」「大人」「身分家柄」くらいの意味を文脈に応じてとります。ここは清少納言を受けてはいますが「方」くらいにやんわりとるのがいいでしょう。
- さばかり:副詞
- さかしだち:タ行四段活用動詞「さかしだつ」連用形。「りこう」(さかし)+「ぶる」(だつ)=賢そうに振る舞う、見せる。
- 真名:名詞。漢字のことです。真の対が仮です。だから「仮名」
- 書き散らし:サ行四段
- て:順接の接続助詞
- はべる:補助動詞。丁寧
- ほど:名詞。「程度」「レベル」
- も:係助詞
- よく:副詞
- 見れ:ヤ行上一段活用動詞「見ゆ」已然形
- ば:接続助詞。確定条件。「(仮に)よく見るならば」「よく見てみると」
- まだ:副詞。「いまだに」
- いと:副詞。程度の甚だしいこと。
- 足ら:ラ行四段活用動詞「足る」未然形
- ぬ:打ち消しの助動詞「ず」連体形
- こと:名詞
- 多かり:ク活用形容詞「多し」終止形。中古用法。なぜ「多し」ではなく「多かり」がもっぱら用いられたかは、中世古語研究の未解決課題のひとつです。でも僕もここは「多かり」で閉じるだろうなあという気がします。
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訳します。
清少納言といえば、とりわけ訳知り顔をして、極端に振れる/目立ちたがりの方(かた)です。(けれど)あのように賢そうに振る舞って、(仮名ではなく)漢字を好んでむやみに書いているものの、よく見てみると、いまだにまるで至らない点が多い。
いいなあ、紫式部。漢詩文の教養だって、実は私のほうが上なんだからねという匂いがぷんぷんする。実際、紫式部が漢文にも通じていることは源氏を見れば明らかです。
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1点お詫びがあります。
実際のところ紫式部は清少納言をどう書いたのか?原文と現代語訳で確かめてみよう!→「容赦ない」「立派なツイッタラー」 - Togetter
「もののあはれ」は自然に起こるものであって、清少納言のように、わざわざ狙って進むような心持ちではない―いかにも紫式部、面目躍如たるものがあります。悪口ひとつでも紫式部らしさがありますね。
2018/11/16 04:27
紫式部自身は、「もののあはれ」という表現、用語は行っていません。「あはれ」「あはれなり」とは記している。それを、源氏物語の内在的読解によって(つまりマルクス主義史観とか、なんとか学派だとか、そういうのでなしに、ひたすら源氏その他を読み込んだ結果として)本質はこれなんじゃないかと、本居宣長が取り出してみせたのが「もののあはれ」です。しかし同時に、「あはれ」は、「もの」について起こる。そのことは、ほぼ間違いない。
紫式部自身が命名を逃した(?)その本質に「もののあはれ」と名付けて見せた、本居宣長との境目を、僕自身、たまに見失うことがある。そこは、すみませんでした。
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話を戻して、たられば(@tarareba722)さんの訳は、ちょっと強いんです。「悪口」路線に引きずられている節がある。たらればさんの中世古文に対する愛情が本物であることはツイートを眺めればわかる。そこであえて、僕になら、ちょっと違う世界を見開かせることができるよと、書いてみたくなった次第です。続きは、また明日か、今日のよるにでも。