illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれにだって(明るい話が)(たまには)書けるのさ

このたび、才能に恵まれつつも不遇に泣いているらしい若い、というにはケホケホ、文人と競馬場にご一緒できるかもしれないチャンスに与った。おまえらがやきもちを焼くからだれかはいわない。批評家はハイコンテクストとチラリズムで勝負をする生き物である。

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実はこの話が持ち上がり、お声掛けをしてから1ヶ月ほど、俗事に呼ばれて連絡を疎かにしていた。

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その間、なんと(!)わが友、李徴子は私の誘いを気にかけてくれていたらしい。もうおひとり、ご同行するかもしれない方から「『あの話はどうなったんでしょうね。流れたのかな』と李徴子が気にかけていた」という話を聞いた。おれは胸の中の申し訳なさバロメーターの水位が上がったのを感じ、もうれつにはんせいし、再アレンジを急いだ。何をいっているか伝わらないと思うがおれはむやみにうれしかったのである。イヤッホーって感じだ。

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おれはこういうのに弱い。俄然やる気が漲る。よよん君が「会いたい」といっていたと人づてに聞いて立ち上がり、新幹線のきっぷを急ぎ手配した人が昔いたと聞いたことがある。ちょうどこんな気分だったのだろう。

李徴子にはさきほど日程案を伝えたところだ。ちなみに文人はおれたちとは違って控えめなので、めったなことでは穴から顔を出してくれない。

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12月9日。ジュベナイルフィリーズ、昔は阪神3歳牝馬ステークスと呼んだ。みなさんにとってもそうだと思うが、おれにとってもむずかしいレースのひとつ。

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関西遠征がいまから待ち遠しい。当たって、当たり馬券を李徴子に渡して、「またね」と握手をして別れる。それがいまのおれのささやかな願いである。

ね、くーちゃん😺

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49年(引用者注:原文は「四十九」。昭和。1974、ジャイアンツ10連覇を阻止したドラゴンズ二度目の優勝の年である)に「小説新潮新人賞」をもらった時も、ちょっとした気まぐれなんだろうと思って、受賞祝いのパーティーには出たが、小説の方は読まなかった。わたくしが彼の作品の熱心な読者になったのは、『監督』以後のことである。寡作な彼の本が1年に1冊か2冊しか出ないのを待ちかねて、送ってくるとその日のうちに読み、いつも感心した。

亡くなった池田弥三郎もその一人だったし、教授の西村亨や檜谷昭彦もそうだった。西村が本の扉にサインして貰って、少女のようにはにかんでいるのを見たことがある。

加藤守雄による「解説」(海老沢泰久『みんなジャイアンツを愛していた』P.236)

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dk4130523.hatenablog.com

そんな感じだ。\(^o^)/