(二八一段)
清水に籠りたる頃、茅蜩のいみじう鳴くをあはれと聞くに、わざと御使しての給はせたりし。唐の紙の赤みたるに、
山ちかき入相の鐘のこゑごとに戀ふるこころのかずは知るらん
ものを、こよなのながゐやと書かせ給へる。紙などのなめげならぬも取り忘れたるたびにて、紫なる蓮の花びらに書きてまゐらする。
(試訳)
清水寺に参籠していた折、ひぐらしの鳴き声がしみじみと季節を響かせていたときのこと。中宮様がわざわざ遣いをよこして下さいました。赤みがかった唐の紙に、
山ちかき入相の鐘のこゑごとに戀ふるこころのかずは知るらん
(山近く日暮れの鐘の響く数/あなたを思う―ご存知のはず)
それなのに、ずいぶんと長い参籠なのですね、とありました。失礼にならない紙の持ち合わせながなかったものですから、紫の蓮の花びらに返歌を記して遣いに持たせました。
*
枕草子には、こういう、中宮定子と清少納言との間で交わされた、微妙な心の綾のやりとりがいくつかあります。また、紫式部も、同じ冒頭「清水に籠りたる頃」で始まる断章が、確か日記にあります。
*
おそらくこれは、中宮がなくなってから清少納言が追想したもの。清少納言は入相の鐘を聞いて、同じことを思っていたのでしょう。