illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

北条裕子「美しい顔」に関する7月9日コメント精読

精読します。人が未熟だろうと真摯に頭を垂れているときには丁寧に読むのが作法です。また実際にとても考えさせられることが書いてあります。

http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/20180709_gunzo_comment.pdf

講談社さん、ぬるいPDFパスワードでありがとう。あと北条さんに公に頭を下げさせて自分たちは保身ですか。誠にいい度胸だ。二度と買わない。

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この度、「美しい顔」という拙書において、参考文献未掲載と、参考文献の扱い方という二点において配慮が足りず、その著者・編者と取材対象者の方々へ不快な思いをさせてしまったことを心からお詫び申し上げます。

これ、正確には3点よね。被災者や読書家のハートを深く抉った。あるいは作家ワナビーにこの程度でいいと思わせたことを含めて4点。

「美しい顔」はその執筆にあたり、主要参考文献を始めとする当時の報道やさまざまな映像資料に示唆を与えられました。すべての参考文献を読んでまず感じたことは、著者・編者の方々がいかに大変な苦労で現地に向き合い、膨大な時間とエネルギーを費やして作品を仕上げたかということでした。現地で傷ついた当事者に向き合い、長い時間をかけて信頼関係を結び、話を聞くということは気の遠くなるような粘り強さと対象への情熱が必要なことで、また取材対象者である被災された方にとっても重い口を開き話をするというのはとても苦しいことであったと思います。さらにはそれを書籍という形にして出版する際には葛藤もおありだったろうと思います。

業界内で詫びるのは最初の礼法ですね。しかしだとしたら講談社にも非はあるだろう。いまとなっては、だが、このコメントが出されたいまとなりては、北条さんひとりに背負わせる講談社の体質が問われる局面に移行する。

私はその関係者の方々の思いや労力に対して抱いている敬意を表明するために、参考文献一覧を小説の末尾に載せたいと考えていました。しかし、この作品がもし新人賞を受賞し、単行本を刊行できるようなことがあれば、その時にそれをすれば良いと思い込んでしまっていたのは私の過失であり甘えでした。なぜ新人賞応募時に参考文献を明示しなかったのか、そのことを今とても悔いております。結果的に参考文献の著者・編者、さらには現地の取材対象者の方々に、敬意と感謝の気持ちを伝えるどころか、とても不快な思いをさせてしまうことになりました。大変至らなかったと反省しております。

こういう見え透いたことはおじさんどうかと思うな。子供が夏休みの宿題をやらなかった言い訳じゃないんだから。どんなときだって、参考文献を添えなかったら、大学の単位だって取れない。ゆってないと思うけれど編集者がそう唆したんだとしたらそう書かないと(書けないか)。

また、参考文献の扱いへも配慮を欠いたことも猛省しております。いくつかの場面においては客観的事実から離れず忠実であるべきだろう、想像の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけないと考えました。その未熟な判断が、関係者の方々に不快な思いをさせる結果となりました。大変な思いで綴られたご著書を軽率な気持ちで扱ったのだとお思いになられたとしても、いたしかたなかったと自覚しております。

これもだめだな。「想像の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけないと考えました。」そうじゃないんだ。嘘だって構わない。被災者が読んで、「これは嘘だが、この嘘はありだ。本当の話だ」と感じたらそれでいいという筋は成り立つんでないの。いまだって、閖上には、幽霊が出るっていう。北条さんは、被災者が切実に必要とする作り話をすべきだった。想像力の力で戦うのであれば(それは被災者に媚びることを意味しない。被災者は全日本人であり全世界かもしれない。そこへと通底する道を切り開く力こそが想像力なのでは)。おれが「この嘘はありだ。本当の話だ。ノンフィクションの敗北だ」と思ったら、そっちの陣営に回ってたさ。

でも、この間、そっちの陣営は評論家の先生方が大半で、旗色は悪かったろう。在野の読者の眼力を侮ってもらっては困る。おれたちベトコンはノンフィクションだろうが小説だろうが何だって嗅ぎ分けて読む。おれたち特攻野郎!

私は自身の目で被災地を見たわけでもなく、実際の被災者に寄り添いこの小説を書いたわけでもありません。そういう私が、フィクションという形で震災をテーマにした小説を世に出したということはそれ自体、罪深いことだと自覚しております。

そのとおりだ。罪深いというか、はっきりいえば、愚行だ。愚行中の愚行。寝かせた想像力の中で戦って、勝利を確信してからでなきゃ、今後はやってはいかんのじゃないかと思うよ。【PR】おれだって下手なりに15年寝かせてやったんだぜ。よよん君、ごめんな。https://kakuyomu.jp/works/1177354054886329995【PR終わり】

それでも私には被災地をテーマに小説を書く必要がありました。

うんうん。おれもそうだった。そうだろう。一旦は信じることにする。

なぜなら私には震災が起こってからというもの常に違和感があり、またその違和感が 何年経ってもぬぐえなかったからです。理解したいと思いました。主人公の目から、あの震災を見つめ直してみたいと思いました。それは小説でなければやれないことでした。

ブッブー。ダウト。いろんな方法があるんじゃないのか。だからみんな思い思いのやり方でやってる / やってきたんじゃないのか。ノンフィクション、写真、フィルム、小説、あるいは、黙して語らないこと。祈ること。別の形で、寄付やボランティアを続けること。などなど。「小説でなければやれない」だなんて、おじさんは思い上がりだと思います。

例えばその違和感のひとつは、自分が東京からテレビで見ていた3.11と、当事者が現地で体験している3.11は同じものだろうかということ。現地にいる人と、こちらから「被災者」と呼んでいる人は同じ人であったろうかということ。

違和感を抱えるのはいいと思う。けれど、確かにどんな小説も違和感を出発点の近くに携える、置き石にするのはいいとして、それを生のままで小説に書きなぐる(多くの部分は書きなぐったようにしか読めなかった。それが演出効果として女子高生ロックとしては不徹底に感じた。すまんこ)のは、また別の話でしょう。

また、数え切れない喪失体験の連続であった被災地に対して、どう考えればよいかわからなかったというのもひとつです。それをわずかでも理解しようとする試みが、ひいては、人間が生きる上で絶対に避けては通れない喪失体験というものと、どう向き合って乗り越えていくかということを考えることになるかもしれないと考えました。

うんうん。ひょっとして、北条さんには、311とは別の、切実な喪失体験があるのじゃないか。モデル稼業は辛いのかね(押切もえちゃんと対談だ!)。その、固有切実の喪失体験を、そのままに掘り下げる道筋の先に、311へと続く(かもしれない。やってみなければわからない)わずかな薄明かりが、見えてくる。それが現代文学のひとつの到達点ではなかろうかのう。

人間を理解してみたかったからです。小説の主人公を作り上げることでしか理解しえない、理解しようと試みることさえできない人間があると信じました。そしてその理解への過程、試みが、人の痛みに寄りそうことにもなると信じました。それが「美しい顔」という小説になりました。

さあ、ここどうする、船橋海神(おれ)。21世紀の平成も終わろうという今時分に、武者小路じゃねえんだからと笑って斬り捨てるか。それも黒い武者小路。いや、よしとこう。理解、したいよね(急に弱腰)。ただ、いきなり The Human というのは、難易度が高すぎやしないか。むしろ小説はその高邁なお題に対して、瑕疵の大きすぎる舞台装置でねえべか。ろくすっぽ寄り添ってねえし(最後の1ダースの憤怒)。

しかしこのようにして自分が表現したかったことを表現するならば、同時に、他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした。大きな傷の残る被災地に思いを馳せ、参考文献の著者・編者を始めとした関係者の方々のお気持ちへも想像を及ばすことが必要でした。

うん。もう責めまい。

私の物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、改めて深くお詫び申し上げます。

やっと認めたか、という気持ちと、もう責めまいという気持ちと、けれどやっぱり、その未熟は本人が一生(銘々の作家生活を賭けて、という意味)をかけて掘り下げ、満たすほかにない、辛いよね、という気持ちが交錯しています。私も未熟のまま生を終えるのでしょう。

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ここ数日、私のブログにしては異常ともいえるPV/日がありました。甘いといわれるだろうけれども、我が軍はこれで撃ち方止め。「美しい顔」は、ちらちら、ここには可能性が眠っているのかしらんと感じさせる表現がありんした。それは確かなことです(芥川賞候補には足りない)。干物屋のお婆さんのこと、作中できちんと回収してあげてね(甘い飴をふたり分もくれたんだから)。

ま、せっかくだから、明日以降も気が向いたら「美しい顔」読んで何かしら書くよ。ちょっと丁寧めにね。では。