本稿は、CAMPFIREへの投稿からの転載です。
カクヨムさんに上げました - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)
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ご無沙汰しております。
先刻、カクヨムさんに、本稿一揃えを上げて公開しました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886329995
CAMPFIREで出資を募り、僅数ながら出版させて頂いた件も「小説情報」に記しました。
みなさまには改めて御礼申し上げます。昨年は、どうもありがとうございました。
ある(出資者ではない)方から、この話を世に送り出していいものかと、よよん君のお母様や主治医の先生は何と仰っているのかと、叱咤を頂戴しました。それは私がこの15、6年間ずっと考えてきたことでした。
北条裕子さんという方の「美しい顔」のことが、この間に、ありました。私は彼女の執筆姿勢に対し、何ひとつ、まったく賛同しない。あんな震災小説があってはたまったものではない。けれども、彼女のとった行いは私を甚く刺激しました。私はある越えてはならない一線を越えてでも、世に問い、問うて抱えたまま斃れていく、痩せた象の姿をここ数日、思っています。
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どんな非難を浴びようとも、あの日、私が見た光景は嘘ではなかったと思っています。
私がよよん君のことが一段落するまでに感光したのはわずかに1日やそこらのことでした。血液グループ先生は7か月半の間、身を焦がしていらっしゃった。私は医師ではないから、せめて想像力のうちに、その数十倍を持ちこたえられたらと、15年、16年の間を置いたというのは、そのような意味です。
もういいだろうと、手綱を緩めるのではありません。もう、よよん君のことを、わが手にだけ収めておくのは間違いであると判断しました。私とて、望んだことではありません。私のほかにだれかが書けば、書き手の人柄と力量によっては、資料一式を渡し、消えても構わなかった。けれどなぜか時間の進行はそれを許さなかった。いまでも、訳がわかりません。
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私が楔を打てば、叩くもの、石礫を投げるもの、お先走り、評論家、いろいろの者が現れてくるかもしれない。少しは、くるでしょう。(けれど)そのようにして、みなさんがよよん君という志半ばで虹の橋を渡った男の子のことを覚えていて下されば、たまに秋の日に思い出して下さるのならば。今となってはそれだけが私の願いです。
血液グループ先生が願ったのもそのことでした。
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2018年七夕
船橋海神