illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

科目を教えるということ

ぜーた君が潔く怒っている(変な表現だけど)ので思い出話をしたい。私は今回のぜーた君のような一刀両断の腹の立て方に弱い。

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高校時代の恩師には何人かいらっしゃってそのことはこれまでに書いてきた。まだ書いてこなかったのが高校3年間、その大半で結果的に数学の面倒を見て下さった五味田(謙一)先生のことだ。たしか茨城大学のご出身で囲碁のアマチュアの強豪でいかにも北関東のDNAを受け継いだというお顔立ち、話しぶりをされる。みんな(生徒たち)からは「ごみちゃん」と呼ばれていた。

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うちの高校は英国数と、S-A-B-Cみたいなクラス序列があった。僕は文系で、後に駒場に進むんだけれど、数学はAとBの間を行き来していた。あんまり得意じゃなかった。数学が好きになったのは大学2年次以降のことである。文学から哲学論理学を経て、矢野健太郎のモノグラフに行き着いた。数学史、公式集…確かで、面白くて、仕方がなかった。不確かな文学は糞食らえである(古文と品詞分解を除く)。

モノグラフ 24.公式集 改訂版 数学

モノグラフ 24.公式集 改訂版 数学

 

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その、虚数単位と三角関数の登場あたりで躓いていた文系脳に「まあ、(いまはまだわからなくても)(解き方を)覚えておいて損はないんですよ」「これが、パターン、定石です」「センターなら、これで十分に通じます」と、地道に、丁寧に教えて下さったのが五味田先生だった。

Sクラスは、岡先生という、そりゃもう天才的なひらめきでしゃらしゃらっと円を描いて論理の飛躍をある種の芸としてお教えになる、「途中省きますけれどみなさんならわかりますよね」。わかんねーよ(1回だけ間違えてSに入っちゃったことがあるんだよあれは地獄だった)w Aクラスは大野先生。岡先生よりも少し「お手柔らか」という感じなのだけれど、まあ、それでも「ここらは省いてもいいですよね」って、おいおい、省かないで下さいますかw

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わからなくて、放課後におれは職員室の五味田先生の机を訪ねた。

そこで勧められたのが、いまはもうないだろう問題集「重要単元 パターン解法30」(?)だったかな、

「まず、これを身に着けましょう」「はい」「そうしたら、次に、少し難しいのがあるから」「はい」「センターなら、これで十分です」「はい。センターの次は?」「そのときに考えましょう」「はい」

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すごくいい問題集で、STEPに進む前に、基礎固めをする、だいたい、入試にはどのような類型の設問が出されるか、それが例題、レベルA、レベルB、発展、となっていて、解くごとに力のつくのがわかる。不思議な問題集だった。

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「東大の数学は、(さすがに)難しいですよ」

ごみちゃんからそういわれて、おれは絶望的な気分になった。実際、過去問をみても何を問うているのか、とんとピンとこない。国語やら英語やら世界史やらは(切実な危機感はあったにせよ)(受験直前の2月には)そこそこ勝てることが判ってきた。ははーんと、ナメた選択肢並べてんじゃねえぞと。文系教科なら、行く。

数学は、行かないのだ。はっはっは。いや、だって、センター数学180は取ったんだぜ。苦手な場合分けはごみちゃん作戦があたった。Thank you. いま以て感謝しています。

dk4130523.hatenablog.com

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されど二次対策は困難を極める。

「部分点を取りに行きましょうか」「はい」

ごみちゃんの作戦は明快だった。東大の二次数学とはいえ、例年4問出される大問の半分近くは、(1)(2)(3)くらいの小問に分かれる。(1)(2)は、(3)の前振りである。(1)は、センターと二次対策の延長で、まずまず、取れる。(2)は、途中まで、正しいと思われる解き方を示そう。計算は正確に越したことはないが、最悪、間違っていてもやむを得ない。(3)は、そのまま進めるなら進んでほしいけれど、無理に手出しをしないように。時間が削がれるから。

「問われるのは、方針です」「はい」「どうです? そう考えれば、二次数学、零点ということはさすがになさそうな気がしてきませんか」「はい」「じゃ、それで行きましょう」「はい」

自己採点の結果は満点が80点だか100点だったか忘れたが、25点だった。英国世界史で力を余していた。数学が仮に0点でも受かっていた可能性はあった。

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合格を伝えたごみちゃんは(にこにこして)おれにいった。

「おめでとう。作戦が決まりましたね」

30を過ぎておれは囲碁の手習いをした。ごみちゃんは栃木県代表の歴戦を誇る県囲碁界の重鎮である。そのことから類推すれば、おそらく、おれの受験の大局を押さえていた。おれが英国世界史で飛ばすことを、あるいは、職員室で他の先生から小耳にはさむなどして把握していらっしゃったのではないか。

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いま、矢板中央高という、まさしく文字通りうんこの如き栃木県教育界にあっては、わりかし多様性を大切にした試みに舵を取る、学校の校長先生をなさっている。

矢板中央高校

ごみちゃんは、いまでは数学を教えたりはしないのだろう。石塚先生(id:ichikanjin)が高校生を相手に古文文法の授業をなさらないように。巨人阪神のOB戦があるように、中高の名人のOB会、授業会があっていいのではないか。

何ならおれが企画するけれども。秋葉原DXにブロガーが銘々に恩師を呼び寄せ、現役さながらの会心の授業を演じていただく。たまらんな…w

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(例によってぜーた君とは関係のない話に演繹、終始した。これが文系脳である。申し訳ない。君の書いていることに間違いはない。道を逸れたのはおれである。かといって改めるつもりはない。ここ、はてなは私怨と憤懣の蠢く日記サイトだからだ。)