illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

それでも会うのはいいことだと思いますよ

理想のチャラ男は、よゐこの濱口です。

会ったほうがいいですよ。会わないとわかんないですから。小出しに会わないから爆発しちゃうんです。面白い人さ|みを感じたら会ってみたいと思うのが自然な気持ちでしょう。「会って話がしたい」ってよよん君にいわれたら血液グループ先生はそりゃ動きます。それこそが診察室のこちら側で待っているときには見果てぬ夢だったんだから。

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今回の事件で松本さんの側に「会う」ことに関して思想的な落ち度があるとしたら彼はHagexさんに会いたいと思って会ったのではないところです。そこは擁護できないな。彼にだってネット上の諸々の活動をする中でこの人には「会ってみたい」と思う人がいたと思うんです。自分の中で瞬時に圧殺する回路が出来上がっていたのかもしれないけれど。だれもが銛をもって1万円生活できるわけではない。ふつうは、怖いです。

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けど、怖くなかったと思うんですよ。われわれが幼稚園、小学校のころ、まあいじめとか、集団への溶け込み難さとか、いろいろあったにせよ、やっぱり、会いたい人は毎日、自然な形でいた。いや、いなかったかな。その辺はもはや遠景の向こうでうまくいえない。それに、この四半世紀の経済内戦によって、中産階級の生まれ育った街は根こそぎぐずぐずにされてしまいました。自然に、会いたいと思える人がいてくれたコミュニティから、一旦ひっぺがされて、都に追いやられて、くーちゃんがいなかったなら、刑務所のほうがましかと夢想するタコ部屋にセパレーションされて、仕事のある人は仕事でも私事でも、仕事のない人は私事をまるごと侵食された恰好で韓国LGのLCDに向き合うわけでしょう?

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そりゃ、痛手を負う前に、会いにいったほうがいいです。僕だって、妄想が心臓のすぐ隣り側で肥大して胸を圧迫し、動悸息切れ疳の虫、お日様を浴びて落ち着きを取り戻すのは、会い終わった数時間後、なんてことは珍しくない。

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だとして、次、会ったときに、もうちょっと首尾よく行かせられたらいいんじゃないでしょうか。