illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おつかれさまです。

私なりに、本件の議論の筋の一部を、引き受けたいと思います。

blog.lalamiamor.net

もはやみなさんご存知かもしれませんが、私、メンヘラ部長は、ある種の社会的有用性高性能と、境界性人格の、併存を、力任せに行うことで生きながらえています。

父親に、イネイブラーの資質はあったと思います。それが躓きの石のひとつであり、母は、おそらくそのことを知って結婚を引き受けた。私がお腹の中にいた。引き受けざるを得ない状況だったのだと息子は思います。

本格的な破瓜の兆しを見せたのは、15歳か16歳のときだったと記憶しています。キエルケゴールと、漱石に、はまった。朝から晩まで「死に至る病」と「こころ」を読んでいました。

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20代のおわりくらいに、結婚、離婚、祖父との別れ、祖母との別れ、母との別れ、を、順序がここに書き記せないくらいの短期間に経験しました。私がいよいよ壊れたのは、それらのことが相次いだ2002年くらいです。

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camp-fire.jp

もう、募集は終わっていることもあるので、1本だけ補助線を引かせてください。

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その、2002年から2003年ごろに、私は、(よよん君に接した血液グループ先生の如く、)ある種の、心を病んだ、プロフェッショナルが、これほどまでに分節分断の進んだ現代に、全人格を賭け、引き受けて、黙って敗れていく姿に、いまなお、零点数パーセントの可能性を信じるのは善行ではないのか。と、信仰の原風景のようなものに触れてしまいました。むろん人類史上、それで歴史が変わった例(ため)しはありません。

けれど、そんなことは関係がないし、問題でもない。

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いま、15年が過ぎ、私の限界線は、くーちゃんのために自死を思いとどまること、しにものぐるいで働いて、なぜか毎日、何かしら、働く仲間や上司に助けられる、謎の早朝出勤に依ります。それと、黄金頭さん、たんぽぽさん、wattoさん、ホマレ姉さん、はる君、をはじめとする、みなさんとの語らいです。

【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST

生い立ちがおれと重なるところがある。彼と、踏みとどまるおれとの差は何なのか。

2018/06/12 05:23

b.hatena.ne.jp

30歳手前の頃(2001-3)は、ほんとにひどい顔つきをしていました。営業スマイルがさまになってきたのは、40を過ぎたここ数年です。それでも、たまに、素の絶望が、あるいは「たまに」ではなく、削ぎ落とせない雰囲気、アトモスフィアのようなものとして、新沼謙治を唄っている最中に、わりと頻繁に、遠い目のようなものをした形に表れてしまう。

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見田宗介が、かつて、オペレーショナルな理性ということをいっていました。オペレーション、処理、切り分け、理性によって、捌き、裁き、捌かれ、裁かれること。この寸断のない営みが、id:koenjilala さんのおっしゃる、昔と対比したときの「近所のなさ」に帰結しているのは、疑いを得ないと思われます。

あいまいな領域に、ひとつずつ、あたかも手術(オペレーション)のメスのようなものを入れ、角砂糖状のものを切り出し、残りの領域を、再び切り刻んでゆく。おれは、RPGのパラメーターでは表現できない虎(であるはず)なので、年齢、性別、身長、体重、出身地、居住地(船橋市海神)、年収、結婚歴の有無(離婚した)、等々、まあ何度か入れたことはあるものの、「総体としての本当のこと」は、おそらくそれらの積分によっては現れないだろう。アラビンドビンハゲチャビン。

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朝6時から夜20時21時まで(平均)働いていて(土曜も)、ほんとはきょうはもう寝たい。でも、この問題は、泣きながらドロップキックを打つというおれの思想信条からして外すことができない。おれが「船橋で飯くわすから」活動を行っていたのは何かしら根本的な欠落があるのはわかっていた。

黄金頭さんにいそいそと酒を贈り、くーちゃんの生の全き保全を思う(とかいうわいせつな言葉遣いをするおれ)のが、現時点での精一杯。

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明日朝8:45から経営戦略会議。いいや、推敲なしの裸体で晒す。続き、また書きます。ただね、願わくは、安楽死だろうと、自死を選ぶことはないやね。いや、どうなんだろう。どの口がいうのかってのは、ある。