季雲納言 id:kikumonagon さんの(いつも変わらない明るい)記事を読んできて申し訳ない気分になり。「死は省察の中心である」と晩年の中上健次は笑って煙草を燻(くゆ)らせていたが、だから死を思うわけではない。けれど一方でやはり言霊というのがある。なるたけ中和になる話をしたい。
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(1)
(論説文の読解のために)論理回路を覚えてほしい。
- NOT(でない。deny。than。に非ず。以外)
- AND(かつ。重なるとき)
- OR(または。どちらかのとき)
- XOR(どちらか一方のときに限る)
- NOR(どちらでもないときに限る)
- NAND(重なり以外。ANDでないところ)
ベン図を書いて、確かめてほしい。確かめたら、何かしらもっとうまい日本語があるはずなので語彙から探し出して表現してみてほしい。ないかも知れない。
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(2)
世の中の様々の事象に何かもの申したいとする。態度は自ずと限定的にならざるを得ない。範囲や場合を限定する。その上で事実と具体例をわけ(早速いま話を端折った)、上の論理回路を駆使して(したつもりになって)、何かをいい、結論を導く。世の論説文は基本的にすべてその構造を取らざるを得ない。なぜなら日本語は一息に論理回路に跳ぶにはあまりに不自由でノイズが大きいからだ。しかしだからこそ恋の芽生える余地があるともいえる。恋は説明を尽くしたら終わる。通じない間が楽しいんだよね。
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(3)
坂口安吾の真似をしてみたが失敗に終わった。しかし論理回路はぜひ身につけられたい。「身につけたい」と「身につけられたい」の違いがもし気になったのなら助動詞から説明を試みてほしい。「身につける」(自動詞)+受け身の助動詞「らる/られる」+他者への希望願望の自動詞「たい」、特に自動詞を先頭に持つ形は、さほど多くないはずだ。自動詞+受動+他者への希望願望はぜひ古文で扱いたい話題のひとつである。うむ。