illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

前略シャイニング某に告ぐ(だがめんどくさいのでidしない)

こんばんは、ダウニング鎌倉橋です。

突然ですが、なぜ、人は古文や漢文を学んだほうが少しだけいい、のでしょうか。

実利面では2つです。

  • 近現代の日本では散文体が遂に確立しなかった。古文や漢文が近世文語との連続性を辛うじて保証してくれます。要は漠然と「ちゃんとした日本語とその文体だ」と感じさせてくれる規範を近代は用意しなかった。僕はそう、思います。しかしそれにしたって、僕の場合は、幸運に、ただ岡本綺堂に心の安らぎを求めることができたというだけです。僕にとって岡本綺堂は、近松や馬琴と、周五郎を結んでくれる。その先に丸谷才一海老沢泰久がいて、山際淳司がいる。近松や馬琴の近くには一葉がいて、そこからは宣長や真淵を経て古今や万葉に遡りやすい。ちょいと辺りを見渡せば、吉行(淳之介)も山藤(章二)もいたりする。
  • 「意味以前」の響きが、書きものには意外に大切ということ。湯川秀樹「旅人」あるいは寺田寅彦「柿の種」に明示的(そして実際に顕著)ですが、幼少期に意味よりも先に音で身体に入ってきた漢文が、その人の文体の骨子を規定しています。漱石も、三島もそうでしたね。これはシャイニングさんにはもう望んでも得られない世界です。つまり彼女は一生、これからどんなに後天的な努力を重ねようと、文章が天井に閊(つか)えたままで終わります。読むことは、口をついて(咀嚼して)出てくることと同じですから、その伝でいえば、彼女には「枕草子」の味は、終生、分からないままでしょう。人生の価値を過度に成果や対価に求めたら、そりゃそうなります。

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非実用面で大きいのは、かなしみ(もののあはれ)が何となく感じられるようになることです。ここから先は、極めて個人的な体験談になります。ブラウザをそっと閉じてください。

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23歳のころ、本郷にM1で在籍していたときに、僕は失語症のような状態に陥りました。直接的には、あまりに性急に、哲学をやりすぎたせいだと思います。日々のあらゆる局面で、自分は何を話すのがTPOに適うのか、ひとつひとつ、立ち止まり、離人症的になって、天空を彷徨い、動悸に襲われるようになりました。もちろん、そうならない局面もありました。ただそれは惰性、自分のギミックであると、やっぱり「こと」(ゼミ、バイト、セックス…)を終えるたびに、自律神経から手痛い復讐を受けました。自我を少し手放して身軽になったように思えたのは、夜な夜な世田谷の路地を息を切らして走っていたときくらいです。

どうしていいか、分からなかった。それが、修士の終(しま)い頃(1998年春)だったかな、(三代目)三木助の東横落語会のテープ、そのいくつかある「芝浜」のうちの1つを、誰からだったか、偶々、手に入れました。

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翁の句に「明ぼのや白魚白きこと一寸」というのがございます。

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三木助がマクラに、すうっと、いうわけです。いつもなら、てやんでえと、芭蕉の野郎は説教くさくてたまらん、旅先で集り行為を働いて(575)となるのが、「うん」と頷いて声に出た。そのままサゲまでテープを回して(まだ、そんなことの出来る機械が手元にありました)、例の、「夢ンなるといけねえ」。

何年振りだったろう、自然に、涙がこぼれて、止まらなくなった。

そうしたら、近松も、西鶴も、魯迅竹内好さんか藤井省三先生のだけどね)も(!)、読めるようになった。ここがおもしろい、これがこうで、と、道を歩いていて口をついて出て来るようになった。

いや、一息にはもちろん分からなかった。でも、いつのときだったかな、万葉人の明るいけれど悲しみ(あるんだよ、そういうのが)、例えば僕の好きな悲しみの種類でいえば、高市(連:むらじ)黒人(万葉集1-32、雑)、

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古の人に我あれや楽浪(ささなみ)の古き都を見れば悲しき

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古(いにしえ)の人でないのに楽浪の古い都を見ると悲しい(わい訳)

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壬申の乱(672)で、近江朝は敗れ、荒れ、大和に遷都する。それが何かのお伴(とも)で、高市黒人はかつての近江朝の跡地を通りかかります。つまりね、(何がつまりだ)事故物件サイトを見るまでもなく、ほとんどすべての場所、とりわけ古くから都が置かれていた場所には、悲しみが宿っているんだ。旅に出て、神社に建てられた石碑を過ぎて、お百度参りをするわね(普通は、しないか)、そのついでに、石碑の側面や裏手に回る、そのときに、100年前200年前300年前に、この地で生きた人の願い、悲しみを、指でつい、なぞってしまう旧型ザクが僕、ここにいます。

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だからいまでも、そりゃ東大出て英語ぺらぺらで、文系だけど情報工学にも統計学にも通じて、おちんちん全盛期全長18.6cm、「汝の玉茎木簡の如し」(悪左府台記」、ただ引用はうろ覚え)だっけ? バツ1で、慰謝料払い終え、失語症は癒えたが未だ20年に及ぶリハビリの過程よ、商社営業部長、過渡期につき経営企画他兼任でございます、シャイニングさんのお眼鏡には適うまいが、しかし、それにしたって古文漢文はやるもんだぜ、お嬢ちゃん。