illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

追悼 石牟礼道子

石牟礼道子が亡くなった。

彼女の来歴は水俣病を告発したというだけでなく詩人、文学者、活動家の軌跡として非常に興味深い。

もちろん「苦海浄土」を、そして有吉佐和子「複合汚染」へと進む読み方をお勧めしたいが、大変によくまとまった、これは受信料を払ってもいいのではないかというドキュメンタリーを見たので紹介したい。


日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子

よく、考えてみてほしい。

私たちはコンクリの上を歩くことが当たり前になっている。

昭和50年過ぎ、わが家の実家前は砂利道で、路地に入ると未舗装(これがおかしい日本語だ。舗装=正とは限らない)の砂利や土の道がぽつぽつと残っていた。

なぜ、土を踏みしめるために街を出て山や川や海を目指さなければならないのか。そう、で、なければ、ならなくなった、のはいつからだろうか。25年前にも同じことを思い、思想的に未解決のままこんにちに至り、そうした予感の前に、僕は官僚の道に進むのを諦めたことを思い出す。

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石牟礼道子については、見田宗介との絡みで一度二度、記したことがある。

dk4130523.hatenablog.com

ちなみに、僕が菅直人をつくづく馬鹿で救いようがないと思うのは、石牟礼道子市川房枝有吉佐和子らへの接し方である。お遍路さんで大地が救われるわけがない。なら、裏日本の恨みを携えて日本列島を改造せんとする田中角栄なら正当化されるのか?

分からない。

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考える代わりに―考えることはもう、やめたのだ―僕が黄金頭さんの「わいせつ石こうの村」を紐解いてみようと思うのは、たとえば、そのような時である。

kakuyomu.jp

彼とおまんは、ひたひたと、ずったらずったらと、海辺の、山の奥の、道を静かに歩いている。

d.hatena.ne.jp

して、2013年正月のことである。おれは祖母の遺品から俳句の本を漁っていた。タイトルのないファイルを見つける。開いてみると、チッソ水俣病発生前と発生後の取引先銀行とその融資額の変遷をまとめた手書きの資料のコピーである。ばか丁寧に書かれた字を見て「これが祖父の字か」と思う。が、一部分だけ閉じられていたものであって、そうと確信する材料はなかった。ただ、ほかに祖父の仕事に関するものなど何一つない。なにを思って祖父はこれを残したのか。おれにはよくわからない。おれはファイルを元に戻した。写真の一枚も撮らなかった。もしもあの部屋のものを処分するときは、その前におれを呼ぶように言ってある。そのときまた考えてみようかと思う。

黄金頭「『苦海浄土』を読む。そしておれは語りだす。」

訂正、しなければならない。僕は黄金頭さんのことを本格の文筆家と以前に記したことがある。彼は本質的な倫理、ないしはその思想家の資質をも失わずにいる。

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渡辺京二石牟礼道子のことを書いている。

道子の創造した作品は、これまでの日本近代文学になかった独特の構造と味わいをもった文学である。しかしそれだけではない。最近石牟礼道子研究に専念している熊本大学教授岩岡中正は、道子の文学の文明論的な意義について、「近代の認識論やひろく近代知によって失われた全体性、複雑性、関係性、多様性、内発性」を回復しようとするのが石牟礼文学の志向であり、それはまさに彼女における「脱近代の知の創出を示すもの」だと述べている。

渡辺京二熊本市在住)が迸っている。合掌。