illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

筒井筒の話

今日は、品詞分解をしないで、季雲納言(id:kikumonagon)さんにちょっとしたプレゼントをしたい。

「筒井筒」である。本来なら、「『筒井筒』で立ちどころに通じることのない現代にドロップキックをくーちゃんにゃーん(´;ω;`)」までやるのだが、今回はやらない。←やっている。この矢印をいちど使ってみたかったのだ。

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伊勢物語23段。原文の引用は(手抜きをして)ウィキペディアから。

むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでてあそびけるを、おとなになりければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとよりかくなむ。

 

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

 

女、返し、

 

くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき

 

などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。

さて年ごろふるほどに、女、親なくたよりなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国高安の郡に行き通ふ所いできにけり。されけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとようけさうじて、うちながめて、

 

風吹けば 沖つしら浪 たつた山 よはにや君が ひとりこゆらむ

 

とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。

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極力このまま、訳します。「このまま」とあえて断りを入れたのは、「このまま」でない訳が余りに多いから。

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昔、田舎まわり(行商や旅芸人のこと)で世過ぎをしていた人の子供たちが、井戸の(竹垣の)あたりに出て遊んでいた、それが大人になったので、男のほうも女のほうも互いに恥ずかしがっていたのだけれど、男はこの人をぜひ妻にと思っていた。女のほうはといえば、この人をと常々思っていて、親の世話をする縁談に応じないでいた。そうこうしていると、隣に暮らすその男から詠みよこしてきた。

 

井戸の竹垣に届かなかった私の背丈は十分な高さになりました。貴方を見ないうちに。

 

女は歌を返した。

 

互いに比べあっていたおかっぱの髪は私の方を過ぎるほどになりました。髪上げは貴方のほかに考えられません。

 

そんなことをいい交わして、二人はとうとう本意通りに結ばれた。

そしてまた時は経ち、女のほうが親を亡くして暮らしに困るようになると、男は二人でしがない暮らしをしているわけにはいかないと、河内の国の高安という郡に、通う先ができてしまったのだった。そうではあるのだが、元の女のほうは男を嫌だと思う様子もなく、高安に送り出してやっていたので、男は(自分の他に)男でもできたからそんな様子なのかと疑い、(あるとき)庭の植え込みの中にしゃがんで隠れ、河内に向かったふりをして窺っていたところ、女はたいそう美しく化粧をして、ぼんやりと(男の出ていったほうを)眺めている。

 

風が吹けば立つ沖の白波。貴方は真夜中に立つた山を超える。たったひとりで。

 

この歌を聞いて、男は女を心から愛しく思い、河内通いをしなくなった。

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この話には高安の女の側のエピソードもある。それがまた格段に楽しいのだが、今日はやらない。

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質問が2つある。

  1. なぜ男は河内通いをやめたのか。「浮気相手の元へ自分を普段と変わらぬ様子で送り出す妻の一途な愛情に打たれたため」などという、芸のない解答「以外の観点」から答えよ。
  2. なぜ女はとても美しく化粧をしたのか。Yahoo!知恵袋などインターネットのわるい解答をななめ読みして十分に打ちひしがれてから、このページに戻ってくること。

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  1. 女の浮気を疑った自分に嫌気が差したから。解答2.を見よ。
  2. 平安以前、夢に出てくるのは自分を思う、自分に会いたい人だと信じられていた。竜田山で白波に飲まれたら男はあるいは自分を思い出して呼んでくれるかもしれない。真夜中だから、夢に出てくるだろう。そのとき、(暮らしは落ちたとはいえど)できるだけきれいな姿で会いたい。

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以上は、いつもながらの長い前振り。

季雲納言(id:kikumonagon)さんのエッセイと、そこに現れる「弟君」には、そこはかとないイノセンスが感じられて、僕はいつも好きだ。いまは、筒井筒と、背や髪の伸びる、ちょうど間の時期にいるのではないかと思う。男性や、女性を強く意識する以前の、慕わしく、明るく、楽しい日々。季雲納言さんのエッセイからは、なぜか、ふと、そんな匂いが立ち上ってくることがある。

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これは僕説なのだけれど、「筒井筒」は、あるいは「つつ居つつ」ではないか。(好きな人のことを思い)つつ暮らし(暮らしてはまたふと、好きな人のことを思う)。高安の女の話は、また次回にでも。

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kikumonagon.hatenablog.com

彼は「誰かと同じゲームをするのに憧れてた」と言って私と同じアプリゲームを幾つか始め(そして私を当然の様に追い越し)、私にアイテムの支援をしてくれます。

(つд⊂)ゴシゴシ (ツイ サッキ ニタ ハナシヲ ヨンダ キガ…)