illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

いつか、リングサイドで

昨夜(ゆうべ)、眠れずに、泣いていた。

はあちゅうの「通りすがりのあなた」を、好奇心から手にした俺が馬鹿だった。深く傷ついた。伊藤春香には、少なくとも近代日本正統の小説家たる資質は、まったく、何ひとつ、ない。押切もえのときにも深く傷ついて嘆息したのだけれど、はあちゅうからは、それを上回る痛手を受けた。そうはいっても何かしら、ひと櫛、ひと欠片、ひと滴、の可能性を著作から探ってやるのが礼儀と思い、彼女のアマゾン(ほぼ)全作品を注文した。

それが、これから1週間にわたって届く。届いたら、読んでしまうのだろう。

俺がこれまで、わるい女に騙されてきたときの、典型的なパターンだった。悪夢だ。泣きながら寝た。

*

山際淳司には、ボクシングの秀作が大きく3つあります。

時系列順に、まず、ひとつめが、春日井健を描いた「ザ・シティ・ボクサー」。ふたつめが、大橋克行(秀行会長ではない)を描いた「逃げろ、ボクサー」(これがいちばん有名かな)。そしてみっつめが、青木勝利を描いた「正方形の荒野」。 

dk4130523.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

春日井健は1970年代半ばの、大橋克行はそれより数年後の、横浜、本牧あたりを「ワル」で鳴らした。恰好よくて、喧嘩が(めっぽう)強い。ほかに捌け口がなくて、やり場のない思いを僕たちが文学のほうに向けたのと同じように、彼らはボクシングへと向けた。山際さんは、横須賀の生まれ育ち。高校時代か、大学に入るあたりで、どうも神奈川横浜横須賀人脈の伝手もあったらしく、地元のアマチュア・アスリートへの取材を重ねていく。そうした中で形作られたのが「ザ・シティ・ボクサー」と「逃げろ、ボクサー」である。

だから僕には、本牧とか、山下公園だとかいう地名には、格別の思い入れがある。

*

黄金頭(id:goldhead)さんは、本格の(本格的な、ではない)私小説家であり、物語作家だ。物語作家の才能は「わいせつ石こうの村」のほうで、実にストイックに、伸び伸びと、放たれている。私小説家、エッセイストとしての顔は、「さて、帰るか」そして今回の記事のように、読書体験がそのままご自身の暮らしの描写やそこから来る熱量となって、表れてくるのが何といっても持ち味、切れ味だ。

goldhead.hatenablog.com

本物の、文章家だ。僕は「一瞬の夏」を、こう描ける書き手に出会ったことがない。僕のほかにいないだろうと思っていた。出川哲朗のくすぐりを入れるところなんて、さすがだ。さすがすぎる。

沢木耕太郎が乗り移って、寺山修司になっている。彼の才能を受け止めきれる雑誌、スポーツ紙は、しかし、この2010年代にはあるまい。70年代、80年代には、まだ辛うじて、存在していた。

*

黄金頭さんには、涙を乾かしてくれたお礼に、武相高校の話を1点だけしたい。

1968年、空前絶後の第4回プロ野球ドラフト会議でジャイアンツが指名したのが、武相高校の島野修だった。彼こそが、知る人は知るだろう、阪急「ブレービー」の中の人だった。そのブレービーは、鬼畜つばめ先生や、バック転するコアラのマーチ君の活躍のようなこともあって、彼らの元祖、のような形で言及される機会も増えた。

www.youtube.com

そんなふうにして、いまでこそ、多くが知っている、しかし振り返ってみれば、80年代初頭、村田兆治落合博満山田久志今井雄太郎といったパ・リーグ名選手への取材をする中で、ブレービーを知り、彼に最初に光を当てたひとりが、実は山際淳司だった。

*

そうだ、お礼がもうひとつあった。

僕の、大橋克行/秀行会長方面への取材によると、井上尚弥がやはり「ピカイチ」らしい。克行さん(「逃げろ、ボクサー」)が、あるとき、僕に次のように話してくれた。

「うちのおやじとおふくろは、井上尚弥の試合は必ず見に行くんですよ。僕らのときは、そんなに来なかったのに(笑)。僕から見ても、彼、井上尚弥は《もの》が違います。怪物です。そしてその怪物度が、群を抜いている」

*

メジャー・シーンに受け入れられるまでには、まだ時間がかかるかも知れない。それでも、どう? こうしてみると、内藤律樹と井上尚弥の時代は、黄金頭さんと僕の時代でもあるような気がしてこない?

黄金頭さん、いつか、近い将来、リングサイドで――

通りすがりのあなた

通りすがりのあなた