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テレビなくピアノもバーもステレオも
あるのはぐるぐるお巡りばかり
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昔、ひとりの若者がいました。
若者は都から遠く離れた町に生まれ育ち、いつか自分は都に出て大物になるのだという野望のようなものを抱いていました。若者の前には杜子春のときのような仙人は現れてくれません。そこで若者は少しだけ自信のあった歌声を武器に、都にやってきました。
若者は歌手になろうと思ったのです。
初めはなかなか売れませんでした。しかしあるとき、そのころ流行っていたフォークソングという分野に手を出したところ、そこそこの売上を得ることができました。味をしめた若者―といってもすでに30歳に近くなっていましたが―は、ある額にほくろを養った大物歌手の後援を得て、コミカルな歌を世に問います。
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こんな村嫌だよ俺は東京に
いつか出て行き牛を飼うのさ
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これで追い風を得た若者は、その後、いかにも大物風の歌をうたい、願ったとおりのお金持ち、大物になりました。時は流れ、いつしか歳は還暦を越えていました。一見、うらやましい暮らしぶりです。
しかし、視聴者は知っています。いえ、少なくとも私はという意味です。
男の笑顔には、どこか影があるのでした。「雪國」「酒よ」といった抽象度の高いタイトル曲をしみじみと歌っているふうの目の奥に、何かしら実はこの人は心からしみじみとしていない、悔いを残しているのではないかという一抹の寂しさが見えてくることがあるように思いませんか。
私は、デビュー当時の吉さんのままでいてほしかったと思うほうです。
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恋しくて追いかけたくなる寒い夜は
都にあれ国の雪思う
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