illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

週末のちょっとした別れ話

父の事業が多少はうまくいっていたころ、私たち家族は祖父母を郊外の、私にとっては生家、実家に残し、町中で暮らしていたことがあります。

表向きの理由は子どもたち(つまり私たち兄弟)の通学に時間のかからぬように、勉学や部活動に専念できるようにというものでした。

私は金曜日の夜に生家に行ってお泊りするのが何より楽しかった。土曜、日曜ときれいな緑と水と草いきれを満喫する。じいさんばあさんと話をする。日曜の夕方に車に乗って町中の家に戻るときには当時10歳過ぎくらいでしたけれども、毎回涙ぐんでいました。

1982年から1986年くらいの話です。

それが、あるとき、生家に戻ることになりました。表向きの理由は「年寄りふたりだけで暮らしをさせるのは心配だから」というもの。先ほども表向き、と書きました。入婿として肩身が狭く、また、仕事に就きながらも、新左翼の革命や思想や思索のことを諦めきれない、その矛盾を、暮らしの柱となることで打開しようとしたのが、いったんは家を出てみた父の本音だったでしょう。

戻るときだって同じです。事業がうまくいかなくなった。単に其れだけです。マルクスを読み、団欒の会話に挫折だの柴田翔だの倉橋由美子だの上部構造下部構造だのを織り交ぜていた自分がそのことを判っていなかったはずはない。

だったらそう言えばいい。しかしそれができない。なぜか。

「人は言葉ではなくその行動によって評価される」

幾度となく垂れられた説教です。それだから、ばあさんを看取れなかった、病院の(知ってます? 介護段階が進むと、病床が上の階へ上の階へと上がっていくんです)8Fで寂しく息を引き取ったとき、多少はやましい、バツが悪いと感じたのでしょう、

「行った時には間に合わなかった」

と、慌てた様子でメールをしてきた、俺はすぐに電話をかけて怒鳴って東北線に乗り込んでタクシーに乗り継ぎ、玄関を開けるなり、ありとあらゆる罵り言葉を投げつけ、殴り合いをした。「結果がすべてだ」貴様の言葉だ恥を知れこの下郎恥知らず恥を知れ云々…他に言い様があるだろう云々…貴様の手口と思考回路は見えているよほどやましかったのか? 云々…

*

幼いころ、庭には俺の好きだった柏の木が生えててね。初夏になると、本家からもち米とあんときなこと粉ものと汁ものと一切合切を取り寄せて、ばあさんがこねて、俺ら男の子が餅をついて、大切にもぎったばかりの葉で包んで食べるんだ。

*

その木を、ばあさんが病院に入っている間、野郎、市道の拡張を理由に、黙って伐採しやがった。小銭が入り、なんだか知らねえが貿易の運転資金に回されたことを俺は知っている。その言い分が奮っていた。

「もう誰も面倒を見ない木だから」

どうして、いつも、後日談で後付けで、負けた側に立ちたがるんだ?

ちゃりーん。俺のちゃりーんがまた1回カウントされた。負けを予定しているから、負けるんじゃねえのか? お前が面倒を見るんじゃないのか。

「俺だって婿に入って苦労はしている。家の改修にだってけっこうな額を持ち出している」「だからここは俺の家だ」

ほかにもある。結婚する前、離婚した後それぞれに、

「お前らも、俺みたいに入れる家を早く見つければいい」

なるほど、やどかりさんだね君は! 戦略的やどかりフレンズだー! てめえナメてんじゃねえぞそりゃどっちかってえと地上げ屋っていうんだ。

そんな生存戦略をおとりになった父上、久しくアルツハイマーになった味というものはいかがですか。さぞかし旨いことでしょう。最後の会話は震災の前、貴君がおっしゃった、

「どうして俺の気持ちが分からないんだ」

でしたね。貴方はずーっと、新左翼の挫折体験だか何だか知らないが、誰かに判ってもらうことを、下の世代に垂れ流し求め、だから事務員さんからある時「(このお父様だと失礼ながらあしらい、付き合いが)大変ですね」としみじみと耳打ちをされたときに、俺はははあんと、なんだかすべてを了解したように思ったのさ。

同じアルツハイマーでも、ばあさん、ばあさんはひとことも愚痴を口にしなかったね。そればかりか、いつだってにこにこして、娘たち孫たちの電話に時を惜しまず耳を傾け、褥瘡のケアにもだまって目をつむり、

tanpopotanpopo.hatenablog.com

(ちょっとひと呼吸にタンポポさんの今回の記事(すごいなあ)を使わせて頂いた格好になっちまってすまないね。触発されて書いたのよw)

俺はばあさん、本当は、出来ることなら、最後まで、ご飯とおかずを一緒くたにスプーンで混ぜてこねて口に運ぶんじゃなくって、箸で三角食べ(で、いいのかな?)を、ぎりぎりまで、させてあげたかったんだ。ごめんな。俺は何ひとつしてやれなかった。