illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

漱石木彫りの話

id:watto さんから、何というべきか、当方の仄めかしに対し、御用命の光栄に与ったので。

そんな、むつかしくないですw まさにそこです。たぶん。

参照テキストといくつかの補助線

そいで、夢十夜(1908/7月末~8月末)。私の個人主義(1914/11/25)。この順番大切ね。漱石の集大成に向かう第4コーナーから先という感じがする。

内容は、いうまでもなくどちらも非常に面白い。粗筋はいいやね。夢十夜の第6夜は一昔前だったら高校教科書に乗ってたでしょ。実は第6夜以外のほうが幻想譚としては面白いんだけど、文部省的にはだめなんでしょう。

私の個人主義も、これは落語のまくらですな。本題は坊っちゃんか、三四郎か、こころか知らんが、演目「漱石その生涯」てのが掛かったとして、やらなきゃいけない小咄だあね。

ちょっと脱線して、高校現代文は最低最悪の仕事だと思うんだけど、それでも中島敦山月記漱石夢十夜」および「こころ」は、これは社会人になっても胸に残りますわね。ここだけは教科書のいい仕事だといわざるを得ない。その証拠にツイートでも記事でも、わりかしよく見掛ける。特に「山月記」。みんなだいすき「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」。中島敦がこのような21世紀を想定していただろうか? 作家冥利に尽きる。いいなあ。やっぱり、この2人の呪術というのはすごい力を持っている証左。

話戻す。カッコ内はざっくり年齢。

いや、他にも時系列で見ようとしたときに触れるべきイベントはある。養父に金をせびられる、神経衰弱再発、とか。正岡子規を亡くすとかさ。でも、ここでの(少なくとも僕の今回の話にとっての)ポイントは2つで、

  • 「私の個人主義」は、かなりの集大成(の、感懐)なんだ。とはいえ、作家としての終焉はまだまだ予感していまい。その後に道草も明暗もあるし。ただ、山に登りきった鶴嘴を当てた、という感懐はあったろうね。
  • 夢十夜」は、前後の大物(猫坊っちゃん夢十夜三四郎こころ)の間の変化球というか、何か探っていたんだろうね。「私の個人主義」との対比でいえば、まだ、鶴嘴は当たってない

感動しながら引用する。

「私の個人主義」若い当時を振り返った部分(1890頃-齢23, 1896頃-齢26)

私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。(中略:しかし果たして)英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、(これでは)とうてい解るはずがありません。それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目の垣覗のぞきといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛がないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。

 

私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁にごして行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮にえ切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪らないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙すきがあったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。

 

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。

ね、いいでしょう? よかねえかw 俺らと一緒だよw (俺も漱石とは違うちょいと離れた研究室で高田万由子ちゃんを遠巻きに眺めながら煩悶したのよ。)

ちなみに言えば、こういうときの漱石の肩を抱くコツは、意味や解釈じゃないんだ。漱石青年の声を聞く、耳を傾けることにある。声が聞こえてこない? この人は真面目な人でねえ。俺の引用では(中略)で括っちゃったとこ(ぜひ別ウィンドウを開いて読んでみてねはーと)、長いから省いたんだけど、本郷にはそういうとこがあって、まあ、やむ無し、いくら東大ったって、お雇い外国人ディクソンたって、そりゃあ、青年期漱石の根源的な懐疑に答えて/応えてくれるわきゃないさ。

夢十夜を挟む。

自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。

そりゃあんた、夢だからさw

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家うちへ帰った。

これだね、坊っちゃん。これくらいそそっかしいから指ざっくりいっちゃうんだ。ここもやっぱり、意味にとらわれちゃいけない。明治の精神が埋まってるだとか、鎌倉の運慶の時代にはとか、そういうことは考えちゃいけない。考えないでいい。必要になったら漱石が勝手にしゃべってくれるから。

自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片かたっ端ぱしから彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

ここだね。

いや、別に大したことを言っていない説。

簡単な話で、

  • 漱石は英語教師か小説家であって木彫師ではない。仁王をにわかに彫れるわけがない。
  • 英語教師に向いてないことは若くから判ってる。運良く為り仰せた小説家としても、まだ、掘り当てた感じがしていない。「運慶にゃ彫れるだろう。俺にはまだ掘り当てられないさ」「そりゃそうだ運慶さんよくぞ鎌倉から今まで生きて俺んちの夢に出てきてくれた」
  • こんときは漱石、まだ、こころ、書けてないからね。
  • 明治の木に伝統が云々とか、主体(彫り手)と客体(木/彫り上がってくるもの)とか、国語教師のやりたそうな解釈は、罠ですぜ旦那。おらっちには判る。俺も自分の物語でさんざっぱら罠を仕掛けたから。
  • 運慶は努力と才能によって掘り出せるんだ。だから今日明治の御代まで生きて(彫り様を見せて駄賃を得ておまんまにありつけてい)るのさ。

んなこたあない深い話さ説。

山登って、俺あ今回判ったんだ。

判らしてくれた人が2人いて、1人は id:LeChatduSamedi さん。俺が例の話を書き上げたときに「まさかこの世から消えるつもりではないですよね」と言い当ててくれた。

今ひとりは id:mikimiyamiki さん。「私も山に登った1人としてその大変さがわかります」とおっしゃってくれた。

夢十夜」のときは、漱石はまだ登りきった、鶴嘴を当てた感触を得ていない。予感だけだ。それが、三四郎/こころを経た後の「私の個人主義」では、

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 

自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。

 (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) 

西洋とか、いいんだよ考えないで。ここで漱石がいってる西洋てのはひっくるめて自分も留学したえげれす人を含む主語でかい系であって、そこが主眼じゃないんだ。

その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘ほり当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。

運慶(夢十夜)んときは、まだ予感でしかなかった。どこかで「これだ!」というのが、来た。知ってる人は知ってると思うが、漱石てのは極めて正直な人で、それは単に思ったことをそのまま云う垂れ流すてんじゃない、自分が感じたこと思ったことと、表現との間に出来るだけ漏れやギャップをなくそうという誠実さの人なんだ。だから、こんときそう表現してるってことは、そうなんだよ。

まとめると、

まとめ? 野暮だからやーめたw 漱石をまとめるとか、どないすんねんw

ま、旦那、どうです?(タイゾー風に)一作(これはid:watto さんに言上してるのではないですら)、とことん根詰めて、100枚くらい書いてみるってのは。俺だって、俺ですら、身の丈にあった底付き、底抜け感というのがあった。

対象や、鶴嘴の当たり方が何であるかはそりゃ人によるさ。そんなの俺あ知らん。

しかしだね、何か見えるものはある。生を放擲しないでよかった(id:LeChatduSamedi さん ありがとうな。先日は悪かった)。id:mikimiyamiki さん、あの日最初に第一声で「(思った以上に)よかった」って褒めてくれなかったら俺は諦めてた。例の黄金町のむつかしい旦那(id:goldhead さん! ビール届いた―!?)もそうだと思うんだけど、俺らはそれだってやっぱり山に登るんす。

*

まとまってねえじゃねえかw

そうだ。こういうときは、わいせつ石膏の村に旅して頭を冷やすべきだった。

追記

以上の延長上に、これがある。なんだそりゃw

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f:id:cj3029412:20171112090200j:plain俺は何か掘り当てた気がする。よよん君にも、血液グループ先生にも、出資くださったみなさんにも、申し訳ないので、生きようとしか思いようがないのでござる。