私、持て余した情熱が抜き差しならない経緯に転じて、何人かの白血病患者と医療従事者の方に取材を行いました(2003-2017)。
アウトプットが、これです。集(たか)っちゃったよ10万円も…
宣伝じゃあないです。紹介。自己紹介。しぬ。
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でね、やっぱり、取材者の欲として、ドナーと患者さんの交流というのは、聞いてみたい話題です。うーん、でも禁欲した。部分的に、聞けた話もある。けれど、書かなかった。その理由は、
増田さんと、元増田さんが記していらっしゃる通り。加えて、部外者が立ち入ることは出来ないよ。
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それでも、取材に応じて下さった複数の方がおっしゃっていたのは、「第2の誕生」(ルソー/ボーヴォワールいずれとも違う意味で)ということです。これはもう印象に残っている。
- 文字通り、命をもらった。
- 生まれ変わったというより、生まれてきた。
- 私は私であって私でないかも。変な感じ。
- 骨髄移植を受けて生き延びた人でないと、分からない感覚だと思う。
など(取材メモより)。手紙でのやり取りは、ドナーへの気持ちも込めて(認シタタめて)、でもルールだから主治医とだけ、いまでも行っています、という方がちらほら、いらっしゃいました。
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6章部分、アップするね。出資くださった皆様、お許しを。
(実は、誤字が残っていて「折る」が「祈る」になったままなんだ。通しちゃった…エラー切手だエラー切手。本形態をお持ちの方には朗報で、100年したら価値が出るかもしれんw)
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それで、僕の書いたこのお世辞にも上手いとはいえない一節を、ぜひ読んでくださいというつもりはない。何度も何度も何度も何度もしゃべっていることなんだけれど、かつて、2002年当時、2ちゃんねるの医療板の最深最底部に、ひとりの白血病を患った男の子がやってきた。そしてそこに、心を病んだ血液内科医が偶然に居合わせた。
それを目撃した全俺が泣いたわけだ。
おい、マスコミのみなさん、全国の村田マリとWELQのみなさん、見ていますか! ひゃっほう!
かつて、15年前には、あったんだよ。これが。いまでもあるんだ。感動秘話が、じゃないよ。例えばごく身近なところで、俺の大学時代の大切な先輩の1人が今年春夏に似た病気にかかって、命を授かって、戻ってきた。5年生存率との諸々の見極めがまさに始まったところ。
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俺の物語なんて読んでくれないでいい。俺は俺のためにこの物語を書いた。よよん君に報告をする。俺の数少ない人類史への貢献だ。お前らドナー登録行けと言わないで俺が行く(もうずいぶん前に行っちゃったよ…とほほ)。その間に村田マリとその残党はウェブの掃除をしとけw (´;ω;`)
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ほいでもって以下は説教じゃない。同時代的思想の交換を申し出てみたい。
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こんなものが再生産されてはならないということを理解している。そして、死後脳の検体でほんのわずかに世の役に立とう。そのくらいしかできることはない。
ゴミみたいな人間が読んでも胸糞悪いだけ 田中圭一『うつヌケ』 - 関内関外日記
ここに行き着くよねえ。ちなみに俺は灰を撒いてそこにマタタビの木を植えてほしい派。でもね。
よよん君の主治医をなさっていた先生がこんなことをおっしゃっていた。
物語は、もともと何もなかったゼロのところから、1や10や100やそれ以上、その広がりを生むことが出来る。僕たち血液内科医の仕事は、それに比べたら、もともと100あった造血機能をせいぜい60か70に戻すことでしょう。ものを書ける人を心底うらやましいと思います。
(取材メモから)
(違うんです、そんなにいいものじゃないんです)と、いいかけて俺(31)は、飲み込んだ。いま(44)でも、半信半疑でござるよ。そりゃもう。
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いかが?
ま、とはいえ、深遠なお題。明日12日(日)午前に関内関外にビールが届く段取りにしてあるから、諸々のことはそれ飲んでからにしてー。
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あ、増田、元増田、ほんとにありがとうね。よよん君の次の墓参りのときに報告してくる!