今週のお題「芸術の秋」
まったくその通りで。
おれみたいにこれといった仕事のスキルも、なんらかの才能も、やる気も、頼りになる家族もない、単にキモくて金のないおっさんからしたら、まったく参考にもなんにもならない。仕事を休め? 給料も出ない零細企業勤めにそんなこと無理だ。日銭を稼いでなんとか食ってるんだ。本当だったら精神科医に通う金、薬の金だってどうにかならんか思うてるんだ。
「思うてるんだ」。地声? 地声ですか!?w
文章全体、どこからも声が聞こえてくるような気がするんだけど(いつも通り)、この「思うてるんだ」みたいな、用字用語からほんのわずかに外れたところにある表現にくすぐられてくすっとなってみたりして。関内ずったら先生のエッセイには、どこかしら毎回1箇所2箇所この手のくすっていうのがあるように思います。意図せざることなのかしら。
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ご本人が答えに手をかけているのだけれども、
しかしまあ、冒頭で著者が「ただひとりでもいい」と述べているのは誠実だ。
田中圭一さんの本書で田中さんがこのフレーズを置いた趣旨とは違った意味で、読み手の「ただひとり」に対し、関外ずったら先生の嘆きがときに響き、ときに救いになることを、僕たち私たちは知っている。そして、もう一歩、恥知らずにも踏み込めば、黄金頭氏の誠実さは、「ただひとりでもいい」などという陳腐を述べることを自らに戒めるのでしょう。また、それほどに、病は苦しい。僕自身の、16歳に端を発し、ほどなく30年になりなんとする破瓜の個人史に照らしても、「俺のこの生が誰かの役に立つとは到底思えない」と日々諦観するほかにない。
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けれど、生き延びて、書いてほしいのです。物心ついて40年、3万冊を上回る本を読んできたので、おじさんはさすがによしあしは判る。というか、みんなのほうがよく知っていることと思う。何が?
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黄金頭さんは文章が上手い。(主語に悩む日本語の私)
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病のことと文章のことの、因果関係は知らない。そこには立ち入れない。前にも書いたけれども、ただ事実として、
上手いんだよ。とにかく、上手いんだ。奇跡的な瞬間が、ほぼほぼ(気持ちのわるい副詞)どの章(話)にも、ある。例えば、
ようやくあの村に住んでいたという古老と会う約束を取り付けた。明日から二泊三日の旅に出る。その前に、あの村についていくつかわかったことを書き留めておこう。
おおーって思うんだ。おおー。そうだったのか。旅に出る前の覚書、覚え語りだったのかー。何か、新しい地平に向かうことを、作家も、語り手も、ここで予感を手にしかけているように感じられる。
もちろん、ここで氏が用いていることは、物語作法上の目新しさという点ではさほどのものではなく、平たく昨今の言葉でいってしまえば叙述トリック的なものに類別して、それでおしまいにすることも可能だ。しかし、同じ手法を使っても、書き手や作品によって感動の質は違う(当たり前のことをいまついうっかり書いてしまった気がするw)。
それを、私たちは畏敬を込めて「努力と才能としか呼びようのないもの」「とにかく上手い」などと、借り物の言葉で形容してしまう。我々の感動を梱包するには、形容詞も副詞も尺が足りないんだ。
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でも、だからこそ、優れた書き手、書物に対しては、「前には尺に収まりきれなかったあの部分」を、今度こそうまく包み込もう、あるいは風を当てようとして、読者は何度でも立ち戻ってくる。呼び寄せられる。
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これもまた例えば、鉛というお題でこれだけのものが流暢に(そう見せて)書ける人が東京湾を挟んだ向こう側に、いま同時代に息をしているという事実。
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かつて、漱石は3代目小さん、あるいは大圓朝と同じ時代に生きている喜び、旨さを記した。
小さん
「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多にでるものじゃない。(略)彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」(『三四郎』)
圓朝
「その工(たくみ)が不自然でない」「余程巧みで、それで自然」(『水まくら』)
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ここは解釈が微妙さを残すところで、一見、三四郎小さん>水まくら圓朝、という図式にも見える。しかし、例の夢十夜の運慶快慶を引くまでもなく、漱石にとって「工・巧と自然」という枠組みは、自分の生涯の課題そのものだったわけで。圓朝においてはその対立図式が融和していると暗に言っていて(なんという下手くそな言葉遣いだ俺はw)、漱石のシンパシーは圓朝のほうに多めではないかと思うのねん。
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「わいせつ・石こう・村」
図らずしも、匠(たくみ)と自然(女・村)なんだ。石膏職人は、云はば、漱石が夢十夜で描く木彫り職人よね。てなわけで、
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黄金頭先生
育みし海辺の町の半世紀/只人ならぬ砂跡その匂ひ
(解題:物語と人となりを育んだ海辺の町の半世紀を思う。旅に出た足跡のついた砂から、いい匂いがする。やはり只の御人ではないッ)
船橋海神拝
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辛くて切ないだろうけれど、生きといてくれよ(談志か俺はw)。
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んで、忘年会やります。
- 2017年12月30日(土)
- 都内西の方
- 焼肉
- 場にメンヘラ部長から、宴会助成金3万円なり5万円なり、まあ。参加者各位の負担を少しでも減らすことができれば。交通費も時間拘束も生じるしね
- 鳥ワールドとかで適当に見かけて、声かけてください
- お題「id:netcraft3 にオフパコをさせない会」
関内先生、お見えにならないかなあ。