illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

古語動詞「忘る」の研究

丸谷才一めいたことをやる。但し仮名遣ひは手間暇かかるので歴史的ではなく専ら現代のそれで。

*

古語動詞「忘る」の研究である。「忘る」とは何であろうか。これが一体一様に厄介な代物なのだ。読者諸賢は苦い恋を忘れた、忘れようとした経験があろう。どうしたか。

  • しいて、努めて記憶から消し去った。そうして忘れた。
  • 自然に、思わなくなった。気づいたら忘れていた。

きっと、この2種類の方法。みなさんの失恋の経験を想像するに、おそらくは、失恋初期にとる手法は前者。脂がのってきたら(妙な表現だが)後者ではなかったか。何がいいたいかというと「忘れる」という行為には意志と自然という相反する性質があって(岩波古語辞典にもそのように2系統を分けて記してある)、そのことを私たちは曖昧に意識に沈めたままに使っている節がある。

ところがどうも古語にはこの2種類を(少なくとも上古:奈良以前には)使い分けていたようで、その証拠、化石が平安時代の歌にも、ちゃんと残っている。

  • 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな(右近)

  • 忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな(儀同三司母)

解釈は、前者「貴方は【意図的に記憶を上書きして(次の恋に向かって)】私のことを忘れてしまうでしょう。その忘れられる自分のことはどうでもいいのです。きっと忘れまいと神仏に誓った貴方に神罰が下り命が削られてしまうことが残念なのです」。

おそろしいおそろしい。

後者「貴方は私のことを【(自然の忘れるという作用に抗って)】永遠に忘れまいと誓ってくださった。うれしいのだけれど永遠は遠すぎます。だったらいっそのこと幸せな今日のうちに我が命の尽きてしまうことを願いたいのです」。

おそろしいおそろしい。

重要なことなので二度いいました。

*

しかしそれにしてもなぜ、【】のような2種類の解釈、訳し分けが考えられるのか。その鍵の1つが動詞「忘る」の活用です。みなさん高校でやってこなかったでしょう。やっても忘れてきた。嫌だろうけど思い出してみましょうか。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

食は

a

食ひ

i

食ふ

u

食ふ

u

食へ

e

食へ

e

接続例は、あくまでも例です。なぜこれらに代表させているかというと、これで覚えておけばまず間違いがないから。そして未然形のところがポイントで、例えば「食ふ」これは未然形「食は(a音)ず」「食は(同a音)ルル」とa音で活用する。a音で活用するときには四段活用(a,i,u,eの四段)というのが過去幾千幾万の動詞の研究から帰納かつ演繹的に決まっている。他に例へばi音なら上一或いは上二段活用といふやうに。そのようなわけでわれわれは古語動詞「食ふ」は四段活用なのだと安心していふことができる。(これが丸谷才一の筆致)

*

忘るに、適用してみる。

  • 右近の用いた動詞「忘る」(←忘らるる):a,i,u,eが登場するから四段だ。意味は、意志の力で記憶から消し去る(だいたいどの古語辞典にもその意味合いで記してある)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘ら

a

忘り

i

忘る

u

忘る

u

忘れ

e

忘れ

e

  • 儀同三司母の用いた動詞「忘る」(←忘れじの):eとuの2つしか登場しないから下二段だ。意味は、自然に記憶が薄らいでいく(同上)。
活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

忘れ

e

忘れ

e

忘る

u

忘るる

u-ru

忘るれ

u-re

忘れ

e

*

と、なんとなく、似てるけど扱い分けの必要な系統であることが見えてきませんか。

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さて、ここで若干思い切った補助線を引いてみよう。万葉集巻7-1197詠み人知らず(雑歌羇旅)に、

手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり

とある。前の記事でも引いたが、話の落ちが我ながらよろしくないのでリンクはしない。

ともあれ、諸賢、「恋忘れ貝」に注目されたい。これは実は下二段活用のほうの「忘る」の連用形(連用中止形)である。なぜかというと、あまり学校では熱を入れて教えてくれないのだが(大問題だ。かういふところにこそ国語学の味わひがあるというのに)、日本語には連用中止という名詞の作り方がある。例には、「嘆き節」なんてのがいいかな。

活用形 未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続例

ルル

タリ

トキ

コト

!

動詞の例

嘆か

a

嘆き

i

嘆く

u

嘆く

u

嘆け

e

嘆け

e

「節」は、これはだれがどう見ても名詞(体言)だ。だからといって、普通、連体形のところにある「嘆く(u)節」といいますか。いわないでしょう。「嘆き(i)節」ですね。そして「嘆き」(i音)は連用形のところにしか出てこない。以上の手続きによって私たちは安心して「嘆き節」の「嘆き」は連用形、連用中止形という古式ゆかしい用法であると断じられる。同様に「書き方」の「書き」、「話しぶり」の「話し」、「語り種(グサ)」の「語り」、「仕種(シグサ)」「仕訳け」の「仕」、「尋ね人」の「尋ね」、さらには話は飛ぶかもしれないが「美人局」(ツツモタセ)の「モタセ」までもが、連用中止形であることが自ずと知れる寸法。

話を戻して「忘れ貝」の「忘れ」も、然り。

そして重要なことは、古語全般に見られる傾向として、複合語のほうにより古形を残す、ということがある。例えば「酒(サケ)」よりも「盃(サカづき:酒さか+杯:つき)」「酒盛り(サカもり)」のほうが、古い。今回の本題ではないので論証や例示は略しますが、そのようなものだと思ってください。

*

忘れ貝も、これなのじゃないか。ちょっと(というか、うんと)弱いのだけれど。

なぜ私がこんなことを力説しているかというと、古語では四段活用の「忘る」が古形、下二段活用の「忘る」が後からの形とされている。私淑する大野晋先生も岩波古語辞典ほかでそう仰っている。

しかし、生意気なようではあるが、私はここにダメ元で一石を投じてみたい。少しだけ相対化、問い直しをしたい気分でいる。古形というよりも、二系統併存といふにふさわしい状況がむしろ長く続いたとは考えられないだらうか。

というのは、

  1. 「忘れ貝」の用法は万葉にある。万葉以前のより古い時代から海の男女たちによって用いられていた。それが採取して詠まれた。時系列はそうでないとおかしい。ということはなかなかに古くからの言い方である。
  2. 四段活用「忘る」が古形だとしたらその連用中止形を得て「忘り貝」という言い方であってもよかったはずだ(右近のために用意した上の表を見直されたい)。だが少なくとも私は見たことがない。(たとへば、かすり傷、なんていまでもいいますね。忘り○があつたつて不思議ぢやない。)
  3. 古人の感性は「自然に移す/還す/任せる/願う」のが主流だったのじゃないか。どうもそんな感じがする。辛い恋を忘る、その忘れるための貝とは、恋の思い出を貝殻に移して、自然に祈り任せるための道具。おまじない、なんていう表現もある。

心許ない仮説ではあるが、私には、ここらのところが、判然としないのである。たれか心ある人よ、研究を掘り下げて下さらんか。

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