illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

クリアアサヒ:伊藤拓郎君の歌について

今週のお題「私の『夏うた』」

伊藤拓郎君(@kurifusu)という歌人がいる。クリフスとは日本海側に見える崖のことだろうか。わからない。彼の歌う手際の軽やかで見事なことはわかる。例えば、これ。

実に、屈託がなくてよい。諳んじてすうと流れる。喉越しである。上2句の畳み掛けるカタカナと、下2句の漢字の響きが、なんともいい配合。加へて云はずもがな、近景と遠景の妙。私はこういうのが好きだ。他にもある。

この、少しの屈託と、セーシェルという意外さがいい。「君」はクリアアサヒを飲む「君」と同じだらうか。ここでも片仮名がうまい。

かういふのもある。これは漢字遣ひのよさ。

夏草といえばこの界隈ではまず芭蕉の夢の跡のこと。伊藤君がどこまで明確に意識していたかは知らぬけれども、寝返り/猫ときて芭蕉を弾き飛ばし、さりとて猫とてやはり運命論と戦にやられるのである。「も」とあるから我々も同じことなのだらう。

伊藤君は驟雨と云ふ淳之介ばりのむつかしいボキャブラリを即興で遣いこなす人でもあるらしい。

七夕のイラスト「笹の葉とパンダ」

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近代だけを見ても彫刻と歌のハイブリッドには光雲(高村)、寿蔵(鹿児島)らが。あるいは棟方志功の流れを汲むナンシー関。評論では建築をバックボーンにもつ吉本隆明。淡いながらもそれらの稜線はある。造形の技術と意志は人がみだりに内面に沈降する虞を和らげてくれる。言語の技術はそれだけを掘り下げるにはあまりに人の側が弱い。それを救うのがものでありかたちであるのだが近代の文学史はそのことを忘れたふりをしている。

伊藤君はどうかそのままベランダのクリアアサヒを眩しげに眺めたままで。

たまには、果実酒も。白色の果実とは何だろうか。或ひは、小粒のプラム。

おじさんの好みを云ふならばここは「吾」ではなく「君」が助平でよかった。だって、

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伊藤拓郎君。豊橋出身、金沢の人。金沢美術工芸大学彫刻専攻4年。その名前はしかと刻み込まれた。

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そんなわけで、いつか都心/船橋に足を運ぶ期会があったら、ご飯でも。ベランダのクリアアサヒは出せぬまでも安居酒屋でもつ煮込みをごちそうしようぞ。ぜひ、声をかけてほしい。