illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

赤飯問題

まず、私は、猫野きなこさん(id:kinako222)がこのようなデリケートな実体験を記事にされた勇気に敬意を表するものである。敬意を惜しまない。

funin.hatenadiary.com

少し、ざっくりと見取り図を描きたい。というのは、そのことは、きなこさんが、

嫌な思い出にしかなりませんでした( ;∀;)

猫野きなこ🐱はてなブログ on Twitter: "@nekohanahime 嫌な思い出にしかなりませんでした( ;∀;)"

とおっしゃった、その辛い気分の緩和に多少なりともお役に立てるのではと思ったからである。以下は例によって論証を意図していないおれおれ理論。ではあるが、それなりの、すれっからしの人文系の院生程度のバックグラウンドはある、その上での暴論混じりであるとお考えいただきたい。

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なぜ赤飯を炊くのか

ハレとケ - Wikipedia

赤飯 - Wikipedia

おそらく2面性(穢れと祝い)がある。

  • 血は穢れである
  • 祝いごとである

加えて、畏れと結もやい的なものがある。

  • 赤は禍々しい/神々しい色である(血/赤飯)
  • 神に奉り、その払下げを受けた赤飯を食べる(祓い)。同時に、共同体に振る舞うことは、その女性が生殖可能年齢に達したことを知らせる。かつ、生理中は村の共同作業には参加できない(労働力の面で/穢れ観念の面で)

これまでを簡単にまとめれば、「ヤバい。きちゃった」「喜ばしいのかな」「大人の階段って感じ?」「ヤバいことは神様に報告したほうがよくない?」「村の男の子に知られたらやらしい目で見られちゃう」「でも好きな人とは結婚したい」「でもいまむりお腹痛いし」みたいな。

ちなみに、

  • ゴマは、白いご飯を赤くしたことを神様にゴマかすため、などといわれるが、怪しい
  • 塩は、お清め。これは、まあ正しそう

おにぎりのキャラクター「お赤飯」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

近代日本の何が問題か

話は飛ぶのですが。

平均12歳で初潮を迎え、16歳で結婚可能年齢に達し、平均29歳で結婚し、平均31歳で第一子を生む。41歳で自然妊娠の上限を迎え、平均50歳で閉経する。

  • 平均19年間(30-12+1)の生理が生殖という意味では結果的に機会損失になっている。16歳以降に限っても平均15年間。
  • 16歳から現在の自然妊娠の上限といわれる41歳までで考えると(30-16+1)割ることの(41-16+1)=57.7%の生理が生殖に対する結果的機会損失になっている
  • この間、恥/タブー感が抑圧/内面化され、学校教育と社会/会社教育がその穢れをうまく祓うことができない。女性に対しても、男性に対しても
  • いわば公認「産めよ増やせよ」期間である12年間(30歳から41歳)に集中/圧縮して2人、できれば3人産めと国や社会は女性に要請してくる
  • 主語も目的語もでかいのを承知で書くが、この無理には、男性の排泄至上主義と生産性至上主義によって、貧しい国や社会が回っていることが、見事に親和する

かつて配偶者が子宮内膜症にかかり、母親を子宮頸がんでなくした私が2001年ごろに似た計算を行った。当時はもう少しましな状況だった覚えがある。

社会制度設計の話

以上から導かれるのは、16歳から30歳までの妊娠出産を支援する社会制度である。言い古された話だが、他にない。文科省厚労省キャリアに17歳の娘さんがいるとする。「妊娠おめでとう。父さんは産むことに大賛成だ」「子育てをしながら学校に通えるように父さんが一肌脱いでやろう」と胸を張って天下に公表し、みんなが拍手喝采を送り、もって率先垂範たることが成り立たないとすれば、何かが違っている。

富国強兵/殖産興業に乗ってはならない

しかしだからといって富国強兵/殖産興業に乗ってはならない。ここからは好みの話寄りになるが、だめである。女性も男性も、「何かのために」「産み育てるから」美しい/有用性があるのではない。生は授かり、享けるもの。老いも若きも赤子も、それ自体で生命は美しいのである。うっかりするとそこから滑り落ちてしまう思想や社会状況は、私の好みではない。

翻って初潮の話

僕は小学5年生、早生まれ9歳のときに、たまたま授業参観の日にクラスメートの女の子がその授業中に迎えた。授業は騒然とし、その子は後ろを押さえて、友だちに付き添われ、保健室に向かった。少しの中断のあと、授業は継続した。参観者にも、僕たち児童にも、ゆるい箝口令のようなものが敷かれた。

女子は、おそらく全員が、起きたことを理解していただろう。男子は、わかっていた子とそうでない子に分かれた。わかっていた子は、さらに、吹聴する者と、沈黙する者に分派した。わかっていない子は、何とか聞き出そうとする者と、無関心な者に分派した。

僕は「わかっていて」「沈黙し」つつ傍観する(正確にはあっけにとられて為す術もなかった)ラディカル少数セクトになった。少数というか1人分隊である。参観に来ていた母親は「ほかのこともそうだけれど、わからないことは口にしてはだめよ。わかっていても、責任のとれないことは、口にしてはだめよ」と帰りの車の中で僕に釘を刺した。その場の対応/指示としては、見事なものだったと思う。

後年その「つけ」が回る

ここ最近、いろんなことがあって、それらを前にして「てへへ。そうは問屋が卸してくれました、なんてことにならねえかなあ、ご隠居」と一人落語をやる機会が多い。

残念、そうは問屋が卸してくれなかった。

  • 配偶者が、子宮内膜症にかかった。為す術もなし
  • 母親が、子宮頸がんにかかった。為す術もなし
  • くーちゃんに、避妊手術を受けてもらった。為す術もなし

dk4130523.hatenablog.com

母親とは、病気が判明したときに、ではどうすればよかったのか(早期発見、定期健康診断など)を考えはしたものの、話し合う機会を最後まで持たなかった。判明したときというのは、そんなことを言える雰囲気ではない。それ以降は、もっとそんな雰囲気ではない。僕の、生涯の宿題の1つになっている。

「お母さん(お父さん)、なぜおめでとうなの」「それはね」

きなこさんの記事に話を戻して、初潮を迎えたとき、「お母さん(お父さん)、なぜおめでとうなの」「それはね…」あるいは「おめでたいことに決まっているじゃない。それはね…」と、からっと明るく説明できることは、大切だろうな、という気がする。

ただもちろん、現代の家族をめぐる社会状況で、男性家族に、赤飯によって知られる必要はないだろう。

話を1つ上の段落に戻して、僕がいいたいのは、「それはね…」の説明原理を、実に様々な側面で、持ちにくい時代に生きている気がする、ということだったりもする。

追伸

きなこさん、おなかの赤ちゃんは、順調ですか~

「姫たち(はなちゃん、くーちゃん、みーちゃん、ちゃーちゃん)は(たよりにならない下僕ちゃんにかわって)、いつもおいのりしていますにゃよー」

追々伸

ちなみに、精通(初めての射精)を迎えた際に、お赤飯(ほかのものでも)でお祝いをした男性陣はいますか? (いないだろうなあ…でも、どうして?)