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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

恋と自覚と自己紹介

今週のお題「自己紹介」

ニャートさん(id:nyaaat)が生きていた。おれも生きていた。よかった。

生きていたと思ったらまた書いてる。あいかわらずおもしろい。よかった。

お金の打算をしないで恋愛できる女性が少ない理由 - ニャート

nyaaat.hatenablog.com

でね、おれ、もの申したいことがある。いきなり切り込むよ。

*

ニャートさんって(あとで引く、例のあれを読むまで)論壇の人、論陣を張る人だとずっと思ってたんだ。プロフィールがそうでしょう? BLOGOSに寄稿しているでしょう? 労働問題への切り込みは鋭いよね。視点のとりかたが、人文科学というよりは社会科学より。ロジックは通っている(絶えず、通そうとしている)。

だがしかしだね。

……あーうー。全然だめだー。

はっはっは。こういうところがおもしろい。すてきー。

私が思う「最も恋愛の才能がある人」は、幼なじみと相思相愛で結婚した人である。

私が思う「恋愛の才能」は、「相手の欠点に寄り添ってもいいと思えること」だ。

答え自分で出してるし。まったくその通りだと思う。話の運びはこれから書こうとすることとはえらく違うんだけど。で、そこのところについてちょっとだけ。

よくわからない図を持ち出してみる。

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恋愛市場は①④象限で勝負する。少なくとも、入り口はそう。自分の属性を数値化して、登録する。おえー(※個人の感想です)。でも、ニャートさんが導き出しているのは、②③に近いんじゃないのかな。あるいは、次のようにいえるかもしれない。①④は理性、発話、言語、文章、ロジックをプロトコルとする。②もそうだけど、受け身だ。だから①④ほどではない。③は、それこそ、幼なじみが知らずに、受け入れてくれているような部分。

惚気話で恐縮だが、おれは中学のときにめぐちゃんという女の子を好きになった。彼女はおれの気持ちを知っていた。なんとなくなかよしだった。でもだから付き合うとかそういうのではなく、あこがれていた。高校は男女別学だから、おれは東大に入って入ったらよくわからないんだけどほめてもらおう、ほめてもらえるんじゃないか、連絡をとろうと思っていた。でも彼女は高校で1年間カナダに留学していろいろあってすれちがってしまった。

もうかれこれ30年になる。数年前からfbで友達として、たまにメッセージのやりとりをしている。(ちなみに彼女は商社マンと結婚して、3児の母。)

よく覚えているなあっていうくらいに、彼女は、おれのだめなところ、悪事の数々を見ていて、当人がわすれていたことまで披露してくれる。「そうだよなあ。おれ、だめだったよなあ」「うん。もうだめだめ。どうして大学合格したときに連絡くれなかったのよ」「ごめんなさい」みたいな。

ほかには「大学で、モテたでしょ」「うん。みんなおかしい」「おかしいって?」「青田買い。おれは基本的にずっと変わらない。だめなままだし、中学のとき好きだった人のことはずっと好きだし、夢ばかりみてるし」「お上手ね。(おれ)君、いまでも作家になりたいのね」「うん」「有名な賞をとったらケーキを焼いてあげる」とか。

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唐突に、シュレディンガーゲーデル不完全性定理)もどきの話なんだけど、共感って、共感する/される/したい/されたい部分を言語化する「外部」で起きることじゃないのかな。ってのが、35を過ぎたあたりからの諦観。もっというと、意味よりも、発する言葉の響きのよさを媒介にする。それも、欠点、と言語化されるような部分ね。

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その意味で、おれは、数多のブログや発言に、それがだれのものであっても(数学的科学的なものを別にすれば)ロジックはあまり(ほとんど)みない。もっとこう、発言者を絶えず不完全なパズルの全体像に見立てて、発信によって、その全体像が(不完全さを含めて)おぼろげに立ち上ってくる、いい意味での「だれかとたたかっている」姿勢、そしてその品のいい自己表明、その予感に、引き寄せられるタイプだ。ついでにいえば、上の拙図の③象限であると、なお好ましい。

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なんどでも引くが、「姪とレロレロ」(笑)。

nyaaat.hatenablog.com

好かれる秘訣は、欠点、愛嬌にあるとは、古来、人口に膾炙するところなり。

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おしまいに、少し、固い話を。

1991年以降、日本の総中産階級(幻想)はなし崩しに崩れた。解体され、孤立化し、企業宗教的なもの、創価学会的なもの、日本会議的なものにあらかた再編成された。70年代、80年代うまれのおれたちきみたちには、帰るべき幼なじみはいない。土着の「非・自覚」に戻ることはできない。

だが、それもわるいことばかりではない。はてなの、ネット民の精神年齢は、平均してせいぜい小学5年生くらいか? もしそうだとすれば、いまが「大人の幼なじみ」を作る時期だともいえなくもない。いえ…そうに…ない。(ちなみにおれがサイバーメガネ id:netcraft3 を支持する理由の1つはかれが小学5年生未満であることを隠そうとしない点にある。戦後まもなく、安吾や太宰が落ちようとした姿を、贔屓目ではあるが、想起してしまう。実にきたない太宰だ。)

20数年から30年後、前期高齢者の仲間入りをしたときに、はて、どうだろう。笑って、戻れるのかな?