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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ぼくのかんがえるさいきょうの記念館

少し前に読んだ。

www.sankei.com

あたまおかしい。ムース(ノム)なんて、もともと(ここ点々うって)どうだっていい。松井も別に。野球関連は、野球殿堂博物館と、甲子園歴史博物館、津田恒美以外にはいらない。

野球以外では、ミッフィーミュージアムid:nenesan0102 さんが教えてくれた)があればいい。お酒は温めのくコ:彡でいい。いろんな思念が交わるのはおれのわるい癖だ。いい癖だという人もいる。

いちど、お嬢と行くのである。先日約束をした。

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きょう話したいのはそれとは少し別のこと。id:netcraft3 行ってこい。という話である。円谷幸吉記念館。

ここじゃねえ。こっちだ。ちゃんと断っておかねえと野郎すぐに手を抜いて女の尻を追いはじめるからな。馬喰め。(宮本常一土佐源氏」)

相馬ならこれでだいたいどこかわかるだろ。おれはわかった。

*

おれが円谷幸吉を知ったのは1年3組時代(奥付の余白にそう手書きしてある)に読んだ「敗れざる者たち」(沢木耕太郎)である。「長距離ランナーの遺書」。めんどくさいので端折って話すがアラン・シリトー「長距離走者の孤独」のタイトルパクリである。くっそー。なんでここから話さなきゃならんのだ。しょうがないのでついでにいうが「遥かなるセントラル・パーク」はこれ(沢木じゃないほう)へのトリビュートな。あれ? ちがう?

遥かなるセントラルパーク 上 (文春文庫)

遥かなるセントラルパーク 上 (文春文庫)

 

マクナブは実にいい仕事をした。めちゃくちゃおもしろいよ、これ。なんというか、アメリカ文学の底の浅さがいいほうに作用している。ハリウッド向きだ。駅伝なんてやめちまえ。中長距離はおっさんが皮肉と屈折を背負って走るもんだよ。

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

 

で、これ。シリトーはいい仕事をした。薄っちくてぱっと見つまらなそうな(コスパの悪そうな)本なんだけど、訳が円熟しつつある丸谷才一なんだ。うまいぜ。「怒れる若者たち」とかいう前にシリトーはこっち。自分探しとか、既存社会への若者の反発、とかじゃなくてね。だれしも一生に一時期はあるものだと思うんだけど、旬でしか発せないフレーズ、短編ってある。それがこれだ。その瑞々しいところの乾いた方面へのてんこ盛り。(乾いたって断ったのは、この先で話す沢木の短編が若干じめっとした話だからそれへの配慮伏線。)近代イギリス(中産階級の怒り(# ゚Д゚))史は、これ(シリトー)と、ビュフォードの「フーリガン戦記」を読んどきゃいいんじゃないの。

フーリガン戦記

フーリガン戦記

 

なかなか本題に入れないな…。えい。

*

いくよ。

円谷という姓は須賀川近辺ではさほど珍しくない。「つむらや」と濁らないで発音する。円谷幸吉の父である幸七は、明治32年に生まれている。祖父は幸左衛門、幸七はその七男だった。百姓は兄にまかせ、宇都宮に出て運送会社の荷役になった。昭和初年にミツと結婚した。ミツは明治35年に生まれ、鬼怒川沿いの小さな村で育った。実家は干瓢などを作る、やはり農家だった。

≪水穂村というんだ。町から二里半も離れてるでしょ、年中おいはぎがいてね、そういう所ですよ。それにしても縁ちゃ怖ろしいもんだ≫

沢木耕太郎「長距離ランナーの遺書」(文春文庫『敗れざる者たち』P.106)

現在の栃木県宇都宮市瑞穂。日光連山の奥のほうにある鬼怒沼を源流とする鬼怒川の右岸。左岸は桑島という。もとは水穂といい、市制施行のあたりで瑞穂野(みずほの)に改められた。と、聞いた。読んで字のごとし市内有数の米どころ。干瓢はいまだってとれる。

その少し上流、辰街道と昔はよばれた県道なんちゃら号線をいったところにおれの母方の本家があり、大正12年に生まれたおれのばあさんと、明治30年頃に生まれたその母親(おれは会ったことがない。仏様のような人だったそうだ。悔やまれる)は水穂村と交易を行っていた。まあ要するに「円谷」といえば、「ああそういえばあの辺りにお嫁にいった人があると聞いたことがある。おいはぎ? 物騒なところで、街から10キロ近くも離れてるでしょう。灯りがない。通っていい道と、そうでない道があったのよ」と昭和60年当時にばあさんはおれに話してくれた。そいでおれは長じて大学生のころ(1993-4)に旧瑞穂村に取材に出て聞き込みと墓場をめぐって円谷姓を探したのだが首尾よく見つけることはできなかった。いるわけがない。みんな首をかしげていた。ミツさんの生まれは別の姓だろう。不審者かおれは。

栃木県道158号下岡本上三川線 - Wikipedia

円谷幸吉は昭和15年に生まれている。須賀川の生まれだから、1930年ごろのどこかで、ミツさんはばあさんとすれ違うようにして福島須賀川に移ったわけだ。

*

64年に、円谷は、東京五輪に出て、走った。(ここは話さねえからな。)

円谷幸吉 - Wikipedia

「おいしゅうございました」の話も、しねえ。そこじゃない。韓国系まとめサイトに決して引かれない、Google検索で中位をたゆたい続ける書き方をおれはするのだ。したい。きっと何かあるはずだ。

*

再び、いくよ。

円谷幸吉の両親は、彼の死後、普通の民家を改造して作った「円谷幸吉記念館」に寝起きするようになった。彼の子供たちが、せめて末子の幸吉の思い出の中に、余生を送らせてあげたいと願ったのだ。

さほど広くない空間に、長距離ランナー円谷幸吉のさまざまな遺品が陳列されている。遺影、表彰状、メダル、ランニング用シャツ、パンツ、シューズ、自衛隊制服、オリンピック出場時のゼッケン77、そして遺書。

幸七はこの部屋の日だまりで、日向ぼっこをしながら浪曲を聴くのが好きだったという。煙草をふかしながら浪曲円谷幸吉物語』を何度もかけていた。

前掲書P.140

This is 記念館。川端も三島も、「おいしゅうございました」を評価したらしいが、ことこの点に関しては、おれは沢木の取材の肩をもつ。

というわけで id:netcraft3 には、こないだモツをつつきながら、おれが「行ってこい」といった理由が伝わったとおもう。

www.youtube.com

ベイジル・ヒートリー - Wikipedia

いま知った。円谷を抜き去った銀メダルのヒートリー(英国)は、2014年10月に須賀川を訪れている。そうだろう。それ以外にあり得ない。よくぞ来てくれた。ヒートリーありがとう。凡百のスポーツノンフィクションが通り過ぎたとしても、おれはこのことを決して忘れない。