illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

山本夏彦と向田邦子のこと

山本夏彦(1915-2002)はいろいろと面倒くさいオヤジなんだが1つ2ついい仕事を残している。二葉亭(四迷)のこと、半井桃水(なからい/とうすい)のこと、そして向田邦子のことである。二葉亭と桃水の話はきょうはしない。

山本夏彦 - Wikipedia

いや、枕に、桃水の話だけしようか。桃水(1861-1926)は、樋口一葉のお師匠であり新聞小説家で、いっとき一葉に恋われていた。「一葉と恋人関係にあったという噂が当時からあった」なんてウィキペディアにはつまらねえ書き方をしてあるが、熱をあげていたのは一葉である。引こうか。

日没後、戸さしかためて皆々火桶のもとに寄りつどひつつ物語りするほどに、門の戸ほとほととたたきて音なふ人あり、(略)誰様やと家のうちより問へば、半井にこそ候へ、夜に入て無礼なれどといふに、その人なりと聞くままに胸はただ大波のうつらん様に成て、思ひがけずただ夢とのみあきれ…

山本夏彦「完本 文語文」(文春文庫)P.76 むろん原典は一葉日記。

前にも書いたかもしれないが、おれの亡くしたお袋が一葉が好きでね。「どうしていまの世にはこういう恋の物語がないのかしら」なんておれに訊くわけ。「さあ」「はて」なんておれもある程度の答えはあるがはぐらかすと「あなた文学部だったわよね。何のために天下の一高に入ったのかしら」なんて、にこにこする。

もちろんお袋もおれもわかっていて、ことばから入る恋ってのはある定型、規範だから。万葉集、古今新古今、小倉百人、同じことを知って話せてそこを微妙にずらして私のおれのあなたへの恋はかようにすばらしいんですよ、あの歌よりもわが恋はこれだけ上なんですよってやる。本歌取りはそのためにある(ちょいうそ)。

共通の土台がないところに、ことばを交わす恋の成り立つはずがない。

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歌を詠む平安貴族のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

だから、ベクトルが反対のとき、ばかね、あなたじゃ相手にならないわ(とはもちろん口にしないのがたしなみである)ってときも事情は同じ。その古今もっとも人口に膾炙した例は、おそらくあの小式部内侍、

大江山いく野の道の遠ければ/まだふみもみず天の橋立

であろう。

ウィキペディアにはこれまた実につまらなく書いてあるが、四条中納言が小式部内侍に何とかして話の糸口を作りたくて、ちょっかいを出したのである。からかったと、ちょっかいを出すのとではちがう。

小式部内侍 - Wikipedia

軽薄でイケメンの四条藤原定頼はおそらく「ちょろい」と踏んだのだろう。あるいは恋心を仮面で隠した。母親は当代美人の誉れ高い和泉式部。その不在を幸いとした軟派に肘鉄を食らわせた。ぐうの音も出まい。はっはっは。さすがに定頼には袖にされたことがわかるだけの教養はあったはずだ。

*

山本夏彦向田邦子の話だった。

上で引いた、山本の「完本 文語文」には、かような、平安から明治まで(あるいはぎりぎり昭和20年まで)地続きでいられた和歌、漢籍、サロンといったものが、なぜよりにもよって自分が生きるいまこの時代(1915-2002)に断絶しなければならなかったのかを、洒脱な恨み節でもって記してある。

完本・文語文 (文春文庫)

完本・文語文 (文春文庫)

 

山本の著作の全貌からすると本書に対するAmazonの評点は甘いとおれは思うが、しかし、朔太郎(萩原)、綺堂(岡本)、敦(中島)、そして冒頭に述べた四迷、桃水、向田邦子らのことが、実に親切にフェアに、近代文学史の稜線上に並べてある。その山本をして向田姉さんの直木賞(1980上)受賞時にいわしめて曰く、

向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。

(引用はまあどこからでもできるが今回は向田邦子「父の詫び状」(文春文庫)の、沢木耕太郎による解説から。沢木もたまにはいい仕事をする)

山本は、もうずいぶん前から向田姉さんのことを知っていて、その才覚に目をつけており、満を持したといういで立ちで、この一文を書きつける。それが昭和55(1980)年のこと。向田姉さんはその5年前、昭和50(1975)年に乳がんにかかり、肝炎と、右腕不如意の後遺症に苦しめられながら、「父の詫び状」を『銀座百点』に連載し、「だいこんの花」「阿修羅のごとく」「かわうそ」などの傑作を物した。

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

 

本格的な文筆家になる前は、当時どちらかといえば色物とされていたトップ屋(事件記者)や脚本家を経て、じつに慌ただしくその軌跡を残している。それが、おそらく病気が1つの転機になって、静謐で鮮烈な「父の詫び状」につながったのだとおれは見る。以降、81年の台湾航空機事故まで、わずか6年。急ぎすぎたことが、返す返すも惜しまれる。

銀座百点◆銀座百店会

*

以上が前振りである。

おれは、止(や)まれぬ事情でいまを急ぎ生きている、ある女社長さんと淡い親交がある。山本は、(よそから見たら)もったいを付けて、それでいてうれしくて仕方がない表情で向田評を述べた。おれはそういうことはやらない。山本の時代はそれで間に合ったかもしれないが、いまは時代の速度がちがうのだ。

*

やるぞ。

川崎貴子の時代はもうすぐそこまで来ている。その文筆の蛹が蝶にかえる助走期間(つまりいま)をおれ(たち)は目の当たりにしている。病に打ち克つだろう。いささかの休息期間は彼女の文章をいっそう磨き上げるに違いない。向田姉さんのように、まったく予想外の矢を放つことだってありえる。そして飛行機はそうやすやすと落ちるものではないから、彼女は長生きをし、10年もすればいまとはまたテーマも味わいも違ったエッセイ集を出してくれるはずだ。

そのとき、彼女のギザギザのおっぱいに、おれ(たち)はあらためてひれ伏すことになるだろう。

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補1:なら山本の何を読めばいいかの話はそのうちする。

補2:いちおう、父と乳をかけてはみたんだが。

補3:念のために断っておくが、このエントリーは川崎貴子のために書かれている。