illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

インターホンの話

ばあさんの話ばかりだと焼きもちをやかれるかもしれないので、じいさんの話をする。

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俺にも、似た経験がある。似てるんだか、似ていないんだかわからないけれど。中学生のときのことだ。技術家庭の時間に、電子工作をした。

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いくつかのキットがある中から、俺はインターホンを選んだ。

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無償のベクターグラフィック: インターホン, 話戻る, 電話, オートメーション, テレフォニー - Pixabayの無料画像 - 146123

戦争で肺の病気をもらってきたじいさんは、痰に少しでも血や濁りが混じると大事をとって横になることが多かった。それは戦後ずっと変わらない習慣。俺が生まれた1973年当時そうだったし、中学生だった85年当時もそうだった。

じいさん思いの孫としては、彼が横になる和室と、少し離れたリビングと、子供部屋のある2階を、有線ではあるがインターホンで結ぶことができれば、何かと楽になるだろうと考えたのである。

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勇み作って、じいさんに納品をして、枕元にセットした。

「ありがとう」とじいさんはいった。だが、あまり喜ぶそぶりをみせなかった。孫がすることには何でも大げさなくらいにうれしがってくれるじいさんである。俺はちらっとおかしいなとは思ったが、調子がすぐれないのだろうくらいに思って受け流した。

インターホンは、それから数日間、和室に置かれた。

4日目か5日目の朝、朝のあいさつにいくと、それはなかった。じいさんは眠っている様子だったので、そのまま学校に行った。その時間、ばあさんはたいてい朝は畑に出ているか朝風呂を浴びている。

6日目、7日目、俺はなんとなく気配を察した。そして、尋ねてはいけない種類のものごとのようにも感じた。俺は黙っていた。

8日目、学校から帰ると茶の間に呼ばれた。じいさんが病院の帰りに今川焼を買ってきたのでいっしょに食べようという。甘いものを口に入れて、茶飲み話をした。そこでも、どちらからも、インターホンのことは話題に出さなかった。そして、あらかじめこさえたであろう包み紙を取り出した。そこには、5,000円ほどが包まれていた。いつもの小遣いをもらうそぶりで、俺は「ありがとう」といって受け取った。

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不惑を回ったいまなら、いくつかの仮説を立てることができる。

  • 寝たきりを象徴するようなものを避けたかった
  • 起き上がって用件を伝えることくらいはできた
  • 少しくらいなら、そのほうがかえって身体によい
  • インターホンがあることでかえって病床から家族の足が遠ざかることを避けたかった
  • 付添いで面倒をみる、ばあさんに失礼になると思った
  • 病もちであることは重々承知のうえで、自分のプライドにも、少々障った

そして、それらの諸々を、孫にどう伝えたものか、考えあぐねた。

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当時、俺はそれらを必ずしも言語化したのではなかった。むしろそれきり、じいさんにも、ばあさんにも、他の家族にも話さなかった。リビングと2階の装置と配線は、たぶん父親が片づけたのだろう。そこらあたりは、はっきりと覚えていない。

その後も、じいさんとはばあさんの見舞いなどで10年くらいの時間をともにしたが、インターホンの件は話題に出たことがない。別に気まずいとも思わなかった。インターホンのことは、自然に流れて、遠のいていった。

たまに俺が向田邦子の「父の詫び状」を読んだときに、男のプライドとはそういうものかと思い起こし、同じような匂いをそこにかぎつけてにんまりとした。いってみれば、ただ、それだけである。

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それにしても、いま思うのは、あのときじいさんも俺も、よく口に出さなかったなということである。ふたりとも、でかした。プライドや、照れや、言葉にならないもごもごの思いを、俺たちはよくぞ、今川焼とお茶とともに呑み込んだものだと思う。

代わりに、俺は歳を重ねるとともに、あのときのじいさんが何を思い、何を伝えかねていたのか、あれこれと想像し、その想像は折に触れてわずかに形を変えていく。じいさんの気質をかなりまっすぐに受け継いだ俺は、じいさんが意図してやるようなタイプではないことをよく知っている。それでも、かえってそんな楽しみを残してもらったような気がして、なんだか申し訳ない。

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そのインターホンだが、じいさんとばあさんが三途の川を渡ったあと、ずいぶん後になって、遺品を整理したときに、和室の奥からセロファン紙に包まれて、出てきた。周りに人の気配がないことをよく確かめてから俺は受話器をとり、その奥から、懐かしい声が、記憶が漏れてこないかと試してみた。

だめだったようである。