今週のお題「2017年にやりたいこと」
2016年はねこちゃんと暮らして生気が戻りつつある。やはりねこちゃんは偉大だ。そりゃ隔週で50人からのねこちゃん(こねこ中心)に会っていれば元気もでてくる。
元気が出たところで「やりたいこと」を。
1. ちゃーちゃんの里親をみつける
シェルターさんによれば、人嫌い、猫嫌いで、「シェルター内ひきこもり」のようになっているという。
いつもこの話を聞いて思うのは、それにしてもちゃーちゃんは4月末のあのときによく僕をスカウトしてくれたということ。なんとかして、この方ならと思える里親さんを探し当てたい。
2. 三峯徹さんご本人にお会いする
ご病気のことは聞こえてきていた。
彼には、いちどお会いしておかなければならない。できれば取材を申し込んで半生の聞き書きなどしてみたいのだが、俺はほかにやらねばならないことがある。せめて即売会などで面と向かってお会いして、はがきをプレゼントするなどしたい。
取材の世界には「いま、お会いしておかなければならない」勘の働く対象というのがある。おそらく、三峯さんのことはウェブ界隈のプロダクションやライターが気にかけていて企画化を行っていることだろう。また、そうであってほしい。
3. 本を読む
だまれ小僧ども(だれにいってんだ-笑)。2016年は、ねこちゃんと、生きることに軸足が自ずと移り、本を読む時間が―オレンジページ、dancyu、翼の王国…以外には―ほとんどなかった。
しかしやっぱり「いい本」は読んで、上手に紹介しておいたほうがいい。
年末の大掃除のあと、久しぶりに丸谷才一の昔語りを読んで、批評(家)の仕事はかくあるべしというのに思い至った。それは、
しかし紹介とか評価とかよりももっと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである。つまり批評性。
(上掲書P.030-ページの振り方が頭0を伴うておる)
うむ。御意。近年の某国では軒並みこの「生きる力を更新する」一助として言を加へんとする一冊に出会ひ難い(丸谷風)。しかしそんな志の低いことではだめなのだ。俺は多くの「生きる力を更新する」1冊を知っている。それはTOEIC攻略でも仕事術でもない。もっと読み返して、よき寸鉄とともに、これはいいぜと喇叭を法螺を吹かさなければならない。例えば、こちらの先生のように。
押切菖蒲園(そんなのない)ごとき放っておけばよいのだ。
4. 器に凝りたい
2016年買ってよかったもの自炊篇 - illegal function call in 1980s
2017年は器に。凝り性みたいだから怖い。器はキリがないよ。でもお気に入りので食べると美味しいけどね。目が喜ぶんだわ。
2016/12/29 11:52
2016年の達成の1つはまがりなりにも自炊が形になったことであった。
しかし器のセンスが決定的に足りない。
困った。何が困ったってセンスのないのは努力と蓄積で補える。と、信じていることが困り性分なのである。ホマレ姉さん(id:homare-temujin)の慧眼と危惧のとおり、先はキリがない。
白状しておく。ばあさんも、お袋も、ふたりとも黄泉に渡って久しいが、器にはとことん凝る性分であった(震災でだいぶんやられた。片付ける身にもなってほしい)。
ふたりの幸せそうな表情をみて、俺はこれはヤバいというのを知っていた。ゆえにコースター収集くらいでがまんをしていた。だがなあ。やっぱり、益子や笠間の陶器市には足を運びたいのよ。
いや、無駄足なのも知ってるんだ。じゃあかといって、比較的近いからといって新井薬師の骨董市に行くか。行ったらおしまいだぞ(笑)。
困ったなあ。
調べたら、船橋からほど近い市川中山にも、骨董市があるんだよ。
ちがうんだ。俺は1枚だけ、生涯この1枚と1椀で、主菜も魚も、汁ものも、というのに出会うことができればそれでいいんだ。たくさん買って眺めて縁側でにやにやしようってんじゃない。
琉球の壺屋焼なんて、いいじゃありませんか。
この、南蛮様のね、魚文、赤絵、唐草、いかんいかん。俺のためじゃない。これはねこちゃんがおいしくご飯を召し上がるために、そうだ! まずねこちゃんのための器ということにしよう。
…みんな、そんなこといってんだ。困った困った。
(追伸)
やはり年末には1年を振り返ってお礼の気持ちを伝えておきたい。それはid:kikumonagonさんのことだ。
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俺は思えば小さいころから「かわいいもの」「かわいいものを眺める女親の喜ばしいまなざし」を見るのが好きだった。
だがそれは人が社会的存在になるにつれ封印のやむなきに至る。平たくいえば俺はサッカーが、野球が、サイクリングが、旅行が、ボウリングが、ゲームセンターが、バッティングセンターが、勉強が、好きなふりをした。もっぱら同級生たちと話をあわせるためである。しょうがないだろ。弥生3月の早生まれは、幼稚園の年少も小学校1年のときも、そうでもしなければ先に手を出すしかなかったんだよ。小さいんだから。
中には、好きが定着したものもある。山際淳司、バイクの1人旅、ガジェット趣味、沖縄、本読み…。
しかし振り返ってみれば、俺の原型は、「かわいいもの」を好ましく思うところにある。「小さな恋のものがたり」とかね。
いまでも思うのだけれど、id:kikumonagonさんが、「どっかーん」と(俺の感じ方)平安趣味を勢いのある文体で全面に出すのを初めて見て、これはすごいなと感じた。先に2016年は本をろくに読まなかったようなことを記したが、「枕草子」と「岩波古語辞典」は、折に触れてめくっていた。1,000年の時を超えて、宮内庁に中途採用された臨時職員が残したブログ記事を読んで、膝を打ち、笑みがこぼれ、光があふれる。
信じがたい、奇跡のようなことだが、これでいいのだと俺は胸をなでおろした。だからid:kikumonagonさんの記事は、ほとんどいつだって、俺にはとても好ましい。
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ついでに、考えてもみてほしい。The ladder to success(成功への階梯。科挙に受かって権力を上り詰めんとする中国の壮年と社会制度をいいあらわした言葉の1つ)に、地方都市から足を掛けるというのは、俺にとっては、そういうことだった。そしてそれを明瞭に言語化できたのはこの1年だった。
そんなの、俺はいやなのだ。不惑をとうに過ぎたいまでも「いやいや」している。
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その「いやいや」すら、ものごころついて30有余年、もうじき40年、俺はつくづく、いいおっさんの、ほんとうに慈しい(古語「いつくし」)とおもう趣味を、こんな形で残しておけることを、よよん君、俺はまた来年も君に会いに話しに行くだろう。