illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

映画「蔦監督」渋谷LOFT9上映会みてきました

映画「蔦監督」渋谷LOFT9上映会みてきました。

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(書いたら思いのほか長い記事になったので、途中、先日おとずれた池田の風景写真を挟みます。)

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蔦文也 - Wikipedia

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よかった。非常によかった。ドリンクとランチ付きで1,500円。小ぢんまりとした居心地のいい空間で2時間6分の長尺を楽しみました。ただ、その楽しさにはいくつかの前提と限定と、云々を、いくつかの観点から、好意的なレビューをしたい。あらかじめ好意的と断っているのは、いい記録フィルムだった、というそのひとことに尽きるから。

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奥様の蔦キミ子さんが(たぶん)主役です。

フィルム中で、これはお孫さんでありこの映画の監督である蔦哲一朗さんがどこまで意識して行ったことなのかわからないけれど、ずっと、キミ子さんが生前の監督さんのことをお話しされている。

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ふだんはね、身内の方がその特権的恩恵に浴して記録を撮ったり書いたりすることには、(幸田露伴-文を除いて)僕は批判的なのだけれど、ことこの映画は、とてもよかった。哲一朗さんがね、おばあちゃん(キミ子さん)に、ずっとやさしいまなざしを向けるのね。最後、記憶が薄れていくさまを撮るのはつらかったろうと想像するのだけれど、少し控えめに、「じいちゃん、どんなだった?」って、尋ね続ける。少し先回りしていうと、映像作家としては、いまひとつ。ごめんね。哲一朗さんはむしろ、インタビュアーとしての才能が光るお人柄なのではと(勝手)に思いました。

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キミ子さんが、記憶の薄れるなか「おとうちゃんは、人がよすぎたんや」って、何かを探るようにして話すシーン。食卓、庭でとれる大根。20数年ぶりに池田高校が甲子園出場を決めたときに現在の岡田康志監督を、家の中から迎える玄関先のシーン。子供たちのお産の思い出を話すところ。どれも、よかった。

高校野球を変える、変えたとはどういうことだったのか。

ひとつの明確なメッセージとしては、映画では語られていない。狙いはそうじゃないところにあったのだと思う。つまり、むしろ蔦監督の教え子たちに、できるだけフェアに、控えめなインタビュアーとして接し、語ってもらうこと。

水野雄仁畠山準ほか、多くの池田高校野球部OBが登場するのだけれど、ここでは、2人挙げたい。

1人めは、手塚一志さん。

手塚一志 - Wikipedia

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映画の中で、こういうことをおっしゃっている。

蔦監督からはっきりそう教えられたわけではないけれど、「続けること」。自分が得たのはそこです。どういうことか。長く続けていると、時代のほうが変わって、蔦監督の野球にフィットするようになる。監督さんは、20数年、結果が出なかった。いろいろいわれてもきた。

それでも野球を辞めなかった(雑音を封じることも含めてね)。

そうしたら、畠山、水野の時代になるころ、金属バットの時代が向こうからやってきた。それまで見向きもされなかった金属バットの開発に、日本のメーカーが、そのころ揃って力を入れるようになった。長く(30年、40年と)続けていると、そういうことがあるんです。

社会科学でいうパラダイムシフトの、典型的なパターンです。いや、そういうことがいいたいんじゃないな。あのね、水野雄仁、江上光治、畠山準にならぶ、蔦監督のイズムを、それぞれに受け継いだなかでも、手塚さんのここは、ピカ一のシーンだったと、僕はそう受け取りました。手塚一志さんが、理論的な話をしているのに、おのずと万感の思いを込める感じになって、語るんだよね。「自分たちは最初から<谷間の時代だ>と監督からいわれました」から入ってね。

手塚さんがいまでも温めている、その原点を、見た思いがしました。

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2人めが、白川進さん。蔦さんを支えた何人かいらっしゃる野球部長のおひとり。僕は、好きです。ふたりが行きつけにしていたスナックで、86年にPLに負けてからの、蔦監督の葛藤と落日を、ちゃんと話してくれている。白川さんのことは、僕は山際淳司さんの著作で知りました。以来ずっと、魅力的な方だと思っていました。

その予備知識があったからというのはあるのだけれど、キミ子さんに次ぐ、監督さんの最大の理解者であり、協力者であったと思う。その白川さんが「86年で、蔦さんは燃え尽きたんじゃないかな」「それは事務方も同じ」「人間だから、仕方がないよ」「マスコミにも365日マークされて、生徒たちと十分な話ができんようになっていた」と、しみじみと、しかし満ち足りた表情でお話しされるのね。俺なんて、もう涙が出ちゃって出ちゃって(笑)。

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高校野球は、大きなトレンドでいえば、戦術面では、山びこ打線で多少は新風が吹いた。でも、それは結局はPLとかの組織力に負けちゃう(マスコミにもね)。変わったといえば、確かに変わったのだけれど、俺の見立てではそこじゃないね。「あの酒飲みのおっさんと野球がやれてよかった」が、非常に高い水準で、監督(1923生まれ)から見たら恥かきっ子(1964ごろ生まれ)の世代に、受け継がれてるみたいなんだ。畠山君って、もっとえへらえへらした感じかと思ってた。今回、違うことがわかった。照れ隠しなのかな。バッターに転向してからの粘り強いプロ野球人生こそが、監督さん譲りの本領、だったのかもしれないね。

野球を通じた人格教育

大っ嫌いなんだ。俺こういうの(笑)。だけど、今回の映画で強く印象に残ったことがある。あの阿波の金太郎、それも悪のつく金太郎、水野雄仁、彼だけが(ここ点々うって)「人格教育はあった。してもらった」って、はっきりいっている。ほかのみなさんが異口同音に「さあどうだったじゃろ。そこまではなかったのとちゃうか」くらいで首をかしげているのと、とても対照的。水野君は、プロでは40勝くらいで終わったけど、やっぱり、ある種の頭ひとつふたつ抜けた才能と感性の持ち主なんだなって。

ちなみに、水野君と、蔦監督の関係は山際さんが歴史的な短編を残してくれている。

逃げろ、ボクサー (角川文庫)

逃げろ、ボクサー (角川文庫)

 

これの「監督とエースの甲子園」読んでみてよ。「ガイなやっちゃ」って、監督さんは水野君のことをいう。ガイは「豪」の字をあてる。徳島の方言である、そう山際さんがこの短編を締めくくるんだけど、それがとても印象的で。今般、阿波池田をたずねた折にも、スナックで出会った多くの方にいちいち「ガイっていうんですね」って尋ねた。いうらしい(笑)。

話を戻すと、その「ガイ」の水野君。監督さんとの間には、プロのレベルに達するものだけで通じ合う、非常に高度なコミュニケーションが成り立っていたことがわかる。一見すると、水野君は監督のいうことに軒並み反発して、話なんてからっきし聞いていないように見える(ていた)。そうじゃない(なかった)んだ。

www.awano-kintaro.jp

水野雄仁 - Wikipedia

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ほかにも見どころ考えどころはたくさんある。

いろいろ、考えさせられるよ。たとえば、阿波池田の駅前商店街なんてシャッター街もいいところ。キャプテン江上君が早稲田の主将になったときに「野球がうまくて選ばれたわけじゃない。畠山水野はプロになる選手。江上はそうじゃない」とやんわりと諭されたところとか。またたとえば、インタビューの終わりのほうに監督の戦友(千玄室)さんをもってきて「生き延びた者の忸怩たる思い」の話を入れるところとか。苦いね。

裏千家ホームページ 家元ご挨拶

苦いといえば、監督最晩年の蔦さんが部員たちから「金の亡者」「ろくに練習に来ない」「このままじゃ池田高校野球部はおしまいです」といった抗議文を突き付けられて、それを哲一朗さんがページをめくりながら読むシーンとか。身を切られる思いがしたろうに、非常に、フェアだよね。

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僕はおしまいは白川進さんの話で野球の煮っ転がしとして閉じてほしかったほうだけど、その苦さを含めて、昭和の映像ドキュメントの傑作になりえると思う。

まとめに代えて

予備知識があったほうが、より楽しめる。逆にいえば、それ自体で完結するエンターテイメントとはいいがたい。映像手法も粗削りだ。その意味で、へたをすれば徳島や高校野球関係者といった身内にアピールする映画にとどまりかねない。

そのことも含めて、しかし、非常に貴重な記録映像です。一方、かといって、副題にあるような「真実」があるかといえば、申し訳ないけれど、さほどでもない。

あるよ。でも、作り手の意図したところとは、微妙に違うんじゃないかな。

真実がもしあるとすれば、最晩年に突き付けられた老いと批判じゃない(と思う)。戦争の残り火でもない。

山びこ打線は、見ていて爽快だった。選手たちが、のびのびとやっていた。それを全国中継で見たわれわれは、いいチームだなあと、どこの田舎の山間(やまあい)に、そんな高校があるんだろう。監督は狸みたいなおっさんだし(笑)。

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その答えを、きちんと、お孫さんというかえって難しい立場から、記録として残してくれた。30年、50年すると、ひょっとしたら俺のような酔狂が、池田の町をまた訪ねて歩いていくかもしれない。

個人的に、近年まれにみる、胸に堪える、いいドキュメンタリー映像でした。

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監督、ごちそうさまでした。

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