8歳のとき(1981)に、イチジクを切った。
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切ったというより、誤って切ってしまった。
秋のことだったように思う。ばあさんが庭はずれに枯れ枝を集めて焚き木をしていたからだ。いくつかの枝葉を拾い集めて運んでいったあとで、ばあさんが草刈り鎌を持ち出して、剪定をはじめた。柿だったか、もみじだったか、盆栽だったか。俺も真似をして、敷地の隅から順に地面に近い雑木を、といっても子供のできる範囲でだが、ちょんちょんしていった。
何か、雑木というには立派なものを切り折ってしまった、気がした。根元近くから、わりと思い切りよく、ばっさり。
気づいたのは、近くにいた父親が先だった。俺がイチジクを切ったのを見てとると、たちまち烈火のごとく怒(いか)った。叱られたほうは、漠然と「これはわるいことをしたらしい」という直観はあるものの、具体的に何がどうでというのがまるでつかめていないから、パニックになる。そのあとのことは、覚えていない。
覚えているのは、ばあさんがひとつも俺を叱らなかったこと。そればかりか、
「怪我はなかったかい」
と、しきりに俺の手先を気にしていたことである。
イチジクは、脇芽を育てたのか、挿し木にしたのか、ばあさんが手を掛けて再生してくれた。中学生になり、実をつけるようになって食べたイチジクは、それはもう、おいしかった。生命力が旺盛で、3年もすれば実が付くといわれているのを知ったのは、ずっと、後になってからのこと。
大人になってからも、帰省して、イチジクのそばを通るたびに、俺は心の中で手を合わせていた。俺が願を掛けたら、ひょっとして、ばあさんのアルツハイマーがよくなるんじゃないかと、もちろん、家族のだれにも、そんなことは話さない。
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おととい、仕事から帰ってドアを開けると、薄暗がりの中、テーブルの上でねこちゃん(くーちゃんとみーちゃん)が踊っていた。次の瞬間、目に入ったのは、木目をあらわにしたテーブルと、じゅうたんの上に落ちた黄緑色のテーブルクロス。その上に横に、飛び散ったドライとウェットのフード。
青ざめた。
「はなちゃん、くーちゃん、みーちゃん、けがはない? 肉球は? 踏んだりしていないよね?」
くーちゃんを抱きしめ、みーちゃんをなでなでし、はなちゃんからはシャーといわれながら、大股で窓辺に向かい、のぞき込んで傷を負っていないことを確かめた。
頬を、一筋、二筋の涙が伝うとはよく目にするフレーズだが、何か生暖かいものが俺の左の、右の、頬を伝った。へたり込んだ。振り返ってよく見たら、器は、じゅうたんがクッションの役割を果たして無事であった。
午前中に読んだ、きなこさんの記事が頭に浮んだ。
そして、ばあさんと、いちじくのことが、一気に広がった。
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俺を泣かせたものの正体に、俺は「やさしいきもちさん」という仮の名前をつけている。きなこさんのおじい様にとって、きなこさんはときに「つよいきもちさん」であり、「やさしいきもちさん」であったのだろう。ちなみに「やさしいきもちさん」には秘密結社があり、仲間が仲間を呼ぶのだと、俺はなにかの本で読んだ覚えがある。
やさしい気持ちにしてくれたきなこさんに、おっさんから、ささやかなお礼を。
「がんばって覚えていてくれた」
というらしい。何が?
忘れたんじゃない。大切な人のことが、記憶から離れてしまう瞬間を、その人にだけは見せないように、がんばって、覚えていてくれた。見せたら、余計に悲しませてしまうことになる。それから、ゆっくりと、静かに姿を隠していく。
嘘じゃない。一例だけ引こうか。
「たった一人」。初期から中期の宮部の、おそらくは傑作中の傑作。この仕組みに触れている、すぐれた文学作品は、実は少なくない。その辺の話は、またいずれ。
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実はいま、阿波池田というところに来ています。僕がイチジクを切ってしまった同じころに、池田高校「さわやかイレブンやまびこ打線」を率いた蔦文也監督の、お墓参り。いいところです。好きになりました。
小ぢんまりとした街をのんびりと回ってから、5日午後に船橋に戻ります。
おれのくーちゃん😺だれにもあげません😺 pic.twitter.com/LZWadbg2Kj
— nekohanahime (@nekohanahime) 2016年11月2日
(お礼になってねえなw すまんw)
追伸:安全のため、ねこちゃんの食器の位置は床に近い高さにまでぐっと下げることにしました。