古くから、日本人の感受性の基底(おくそこ)には、「をかし」と「あはれ」がある。まず、間違いのないことと思います。枕草子と源氏物語。ほかにも、奥ゆかしいとか、懐かし(心惹かれる)とか、慕う(恋愛感情とはちょっと位相の異なるところで)とか、実に味わい深い形容詞が、やまとことばには、ある。そしてそれが現代の、「をかし」方面ではたとえばキティちゃん、ミッフィーちゃん、LEGO、たまごっち、あるいは「やばい」なんていう形容詞に(よくもわるくも)引き継がれている。「あはれ」は、「全米が泣いた」とか、「草生える」とか。
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ではその、「をかし」「あはれ」は何だろうかというと、これがよくわからない。いや、もちろん俺なりの答えはある。でも高校のときの古文の授業を思い出してほしい。古文の先生はこんなふうに板書したはずだ。
- をかし:趣き深い。なるほどためになる。
- あはれ:しみじみとした趣きがある。
疑問に思わなかった? どっちも趣きじゃねえか。その趣きってのは何なんだ。
うつくしきもの。瓜にかぎたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひくる道に、いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる。いとうつくし。
これかな。(枕151)
にはとりの雛の足高に、白うをかしげに、衣みじかなるさまして、ひよひよとかしかましう鳴きて、人のしりさきに立ちてありくもをかし。また親の、ともに連れて立ちて走るも、みなうつくし。雁の子。瑠璃の壺。
こっちかな。(同)
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
やっぱり、これだよね。(枕1)
何度よんでも天才だとしかいいようがない。
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清少納言は「うつくし」とも形容しているんだけど、「をかし」にせよ「うつくし」にせよ、小(さい)物を目にしたときの、何とも心ひかれてしまう、目で追ってしまうさま、心の動きを、だれかに語りたくて仕方ない。そんな気がする。
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「あはれ」は、いまここでは、やらない。ちょっと違うんだ。痛み、切なさ、受苦を伴う感情の働きだから、書いて伝えるのが難しい。そうだなあ、「竹取物語」で、かぐや姫が天に還る、それを帝が嘆いて「もう不死の薬なんていらね。富士山に持っていって(せめて天にいちばん近いところで)焼いてくれ。えーん」って泣く。ああかわいそう。これだ。これが「あはれ」。こんなふうに、をかしは、目の前のものを描写して伝わりやすい。対して、あはれは、物語が必要なんだ。たぶんね。
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これほどに微妙な含意(ニュアンス)がある。俺たちは、その細い釣り橋の上を実は歩いているってことになる。
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だが諸君、まれに「をかし」と「あはれ」のほどよいバランスを現代のエッセイに見ることができるのをご存知か。
2つだけ引く。ご存じ、川崎貴子である。うむ。
美人だからって目くらましにあっちゃいけねえんだ。そこ(だけ)じゃねえ。
前者「ほっといてくれ」では、小物と、祈りと、夢がある。これが「をかし」な。後者「愛と支配」には、物語がある。切実な、愛憎と、時間と、理解がある。いや、全き理解とはいえないのかもしれねえが、少なくとも、そこには修行がある。受苦だ。これが「あはれ」な。
修行を成し遂げたら、「あっぱれ」っていうだろ。
それで、わかんねえと思うんだけど、1万人に0.5人くらいピンとくるご仁がいるかもしれねえんで書くが、川崎貴子のエッセイには、「枕草子」と「蜻蛉日記」と「更級日記」のハイブリッドな感じが漂う。
ついでにいえば、あの三島由紀夫は女流に嫉妬していたのを貴君らは知っているか。だいたいが円地文子「女坂」を「行間から明治の香りがする」と愛読していた(らしい)。加えて「男性作家には枕や源氏のように戻るべき場所がない。女には連綿とした嫉妬とそれを形容する歴史がある。男には公用文(漢文)しかなかった」と嘆き、自らを奮い立たせようとしていた(としか読めない)。
昨今の野郎ブロガーが表明文(「ぼくは高知でトマトを栽培する」)やノウハウ(「キャンピングカー暮らし(てあっさり投げ出した根性なし)これだけの理由」)にどうしても偏ってしまうのは、その意味で仕方のないところだ。許しはしない。
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で、なんだっけ。そう、川崎貴子(1972.4-)。俺(1973.3-)と同世代。こういっちゃなんだが、俺らの世代はつまらんのよ。「バブルが終わった」で始まり、「失われた10年」が15年20年いまや25年になろうとしている。おいおい、聞いてねえよ。公民の教科書には確かに「将来2.6人の若者で1人の高齢者を背負うことになります」と書かれてあったが、だからどうしたらよかったんだ。
そんなこんなで多くは、やさぐれ、ぼったくり資本主義に身を投じ、負けたり負けたり負けたりしている。「をかし」だとか「あはれ」だとか考える時間のあろうはずがない。91年の例の大学院重点化で、国が考えさせてやらなきゃいけねえはずの人たちはみんな貧乏になっちまった。それじゃゆっくりものを考える余裕ってのがねえだろ。
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川崎さんは、そこを、したたかに戦い、生き延び、説得し(まず旦那さんからなw)、感受性を、表現を、手の内に留め置くことに成功した。
会社を経営しながらの20数年間だぞ(旦那さんとの対話はそれより短いが)。そりゃ、進化して、魔女にもなるさ(ほめてる)(どちらかというと、ひれ伏しているに近い)(同学年の隣のクラスにこれだけ頭が切れてきれいな女の子がいたらのぼせ上っちまうだろう?)。
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むかしは勝手連というのがあって、まあ、私設ファンクラブみたいなもんだ。たとえば、こんなのだ。
山口瞳、吉行淳之介、江國滋らが、向田邦子ファンクラブを作って、銀座で「いい女だよなあ」と盃を傾けあう、そんな時代があった。
そしてさらに、上には上があってだな(笑)、実は、向田姉さんには森繁久彌がもっともやられていた。
「向田さん、あなたの時代が来ましたね」(中略)私は、今迄にこんな凄い殺し文句を言われたことがありません。(あとがきにかえて 花束『森繁の重役読本』向田邦子)
— 向田邦子bot* (@1128kuniko0822) 2016年10月21日
わかるよ爺さん。
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断じていう。おそらくまもなく、川崎貴子ファンクラブが立ち上がるであろう。有能な執事もいらっしゃる。
いま知ったが、パーティも催されるらしい。
俺? 俺はいいや(笑)。陰から見守るのが性に合っている。川崎貴子の時代を、同じ時代を生きてきて、これからも生きることは、ねこちゃんのように電柱の陰からこっそり聞き耳を立てるのでも、十分に味わうことができるだろう。ねこにはねこの幸せがある。諸君、川崎貴子の時代だ。
川崎貴子先生は日々の鏡台の前でおこなはれるお色直しを現代の文脈で魔女の儀式のやうにお書きになる。何ともすてきぢやないかね @miraihack あれがライターの力量ぢや https://t.co/jJE0zQwc9z
— nekohanahime (@nekohanahime) 2016年10月28日