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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

騙しの手口について

彼岸なのでばあさんの話をする。

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ばあさんと俺は生まれ年にちょうど半世紀の開きがある。ばあさんは関東大震災の年に生まれた。庄屋の娘が没落と戦争の災禍を味わい、気づけばじいさんとともに開拓農民になっていた。戦後は果樹園と養鶏で暮らしを立てた。

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ばあさんに最初に異変があったのは66歳のときであった。学校から帰ったらちょうど病院から戻ったところで、「頭の後ろあたりがどーんとして手がしびれるようになった」といって横になっていた。脳梗塞だと思ったらやっぱりそうだった。それでもリハビリをこなし、畑仕事ができるまでに回復した。俺は午後の高校をサボって帰宅し、ばあさんの火の始末に心を配るようになった。

両親ともに勤め人だったから、じいさん、ばあさんとこたつに入ってみかんをもぐもぐしながら英単語を覚えるのが何より楽しかった。学校の帰りに東武デパートで今川焼を買って帰り、お湯を沸かしてほうじ茶を入れる。ときどき、毛布をかけてあげる。外に出たいといえば後をひょこひょこついていく。

そのまま無事に2年ほどすぎた。だがそうは問屋が卸さなかった。

異変は自転車で買い物に出て途中で転んだことで始まった。だいたいどこの年寄りも自転車か歩きでこけることから始まる。うちのばあさんの場合もそうだった。それ以上の詳しいことは書きたくない。

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俺は相変わらずこたつにはいっている。向かいにじいさんが、横にはばあさんがいて、みかんをむいてくれる。リンゴはむいてくれようとするのだが「手先がだめになっちゃって」というので俺がナイフをとって代わりにむく。「おいしい。おいしい。孫にむいてもらうようじゃありがたくて罰があたる」「お小遣いをあげなくちゃね」。

そこのところの脈略がよくわからないのだが、俺はにこにこして話を聞いている。1万円札をくれた。「ありがとうね」。ばあさんはうつらうつらする。俺はさっきくれた1万円札をばあさんの財布にしまう。目を覚ます。「かわいい孫にお小遣いをあげなくちゃ」。

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何百万円かくれたところで、ばあさんはいよいよ本格的な介護が必要になり街中の病院に収まった。東京の大学に入ったことはうれしくもあったが、文学は老人学ではなく、介護にはこれっぱかし(ばあさんがよく口にしていた。このいいかたは、ズーズー弁の1つだろう)も役立たない。俺は幾度もどこか近郊の医学部に入りなおそうかと思い、出るまでには短くても6年かかることを考えて時間の不足を、無常を嘆いた。

せめてと、週末に、平日の講義の早上がりのときに、じいさんと待ち合わせをして病院までの川沿いを歩くのを楽しみにして、新幹線でいそいそと帰った。学生身分ではあったが、新幹線代は、ばあさんがくれた小遣いからいくらでもある。

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病院に入ってからも、何かをしきりにくれようとするばあさんの姿は変わらなかった。かつて市議や県議やらの連中が出入りしていたころ、布団と座布団と食器は、20人の客がいつ来て宴が始まっても大丈夫なように、ほこりひとつ付けずきれいに揃えてあった。お酒も、畳も、障子も、縁側の緑も鯉も庭石も、それはそれは気を配っていた。ばあさん、ひょっとして、この調子でずいぶんあれこれと表に裏に、連中に回していたんだなと気づいたのは、それからしばらくしてのことだった。

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葬式には、地元の何とかいうのがやたらとやってきた。頭を下げ、中には「優秀なお孫さんにぜひうちのセンセイの世話を」などとほざくのがいたので、丁重にお引き取りを願った。主に、江川事件と不倫で名をはせた野郎の配下である。「この野郎調子に乗りやがって。てめえらひとりでも入院先に顔を出したことがあるか」と啖呵を切ろうと思ったが、その役は弟が務めてくれた。その様子をみながら、俺は一刻も早くお骨を持ち帰り、こたつに入って温めてあげたいと思っていた。

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