鶴岡八幡宮の大銀杏のことは、僕もずっと気にかかっていました。
僕のような若輩者がいうのは気が引けますが、id:garadanikkiさんは、ほんとに趣味がいいなと思います。たぶんわかってくれるかな、泉鏡花、里見弴、幸田文、永井荷風、有吉佐和子…の、和装を好む趣味の系譜の感じがします。鏡花は文体に癖があるけれど趣味はべらぼうにいい感じがするのね。次のNHKの記事でなんとなく伝わってくるものがあると思います。丸谷才一もどこかで泉鏡花の着物を描く手つきをほめていたのを読んだ覚えがあります。
さすが、金沢のお人はいけずやわ(笑)。
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「趣味」って大事なんですよ(たぶん)。「あの人は趣味がいい」っていうときの趣味、ね。「僕の趣味はこれこれです」というときの趣味(hobby)じゃない。近代文学研究がなおざりにしてきたタームの1つが趣味です。お前らもっとちゃんと、そして適当に読み散らかせよと、ことあるごとに、思う。
例えば、三島由紀夫(たびたび引き合いに出してすまないね。おじさんは君のことが気になるのよ)は、天才だし文体は豪華絢爛だし、割腹に至る思想の首尾一貫したさまは見事だとつねづね思います。でも、あの人は趣味はわるいでしょ。壮絶にわるい。わるびれてやってるんだ。あんなことはするもんじゃない。
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閑話休題。
こうしてみると、「趣味」(hobbyではないほう)は、自意識の反映なのかな。荷風はわるいやつだけど、趣味はわるくない(よね)。
昨今、差別的表現の1つに数え上げられなければいいと僕が勝手にひやひやしているワードに「育ち」というのがあります。お金とか、文化資本のことではなくて(ここ点々打って)、何に美しさ、余情、季節感といったものを感じるか、そしてそれをどう表現するか。それが僕の思う「育ち」であり「趣味」です。
1冊、思い出したぞ。
未読の方がいらっしゃったら、ぜひ本書を手にしてみてください。金田一春彦先生の織り成すテキストは、とっても趣味がいいです。「趣味」は、ことばの問題でもあるんです。
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この記事もまた、味わい深いです。
20年から25年前、僕は経堂/豪徳寺/赤堤界隈を生活圏にして大学に通っていました。そのころはこんなに整っていなかった。そう思ってちょっと調べたら、まさにそのころから計画、造成されたのですね。久しぶりに歩いてみようかな。(丸谷才一風にいえば「歩いてみようかしら」)
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で、お礼です。ちょっと遠いかな。いいや。ここ、僕の気に入っている場所。きっと興味をもってくれるのではないかと思います。
久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)。
ググれば出てきます。その中から、周辺も含めて、雰囲気を伝えてくれているなあと思うのが、以下のブログ記事です。
もっというと、溝の口駅を降りて、分水方面に向かう暗渠とか神社(お稲荷)さんとか、宅地造成によってできた斜面の切り出しと法面とか、いいんですよ、あの辺り。まだかな、と思いながら歩いたり自転車をこいだりして、目当ての分水に行きついたときの夏休み感といったら、格別です。それから、濱田庄司ゆかりの石碑が駅前に建っていたりして。
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落語の噺とか、ほかにもいろいろと触発されて書きたいことがあるのですが、今晩はこの辺りで。おやすみなさい。
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大事なことを忘れていました。
小町通り脇の亀屋さん。この赤飯と栗は、なんていうんだろう、余計なものが入っていなくて、淡い色合いと味付け。子供のころに僕が食べていた栗ご飯が、こちらと近いです。おいしい。一時期ご主人が病気になられて、それまでの和菓子屋さんから、いまの赤飯メインの出し物に変わったそうです。いまやってるのかな。