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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

近代文学漫談「猫ほめ」

ようこそ雨の中のお運びで。まいどの一席を。

「毎回」「時どき」ほめる方法論としてはわかります。イルカから人への投影というのと、わかりやすく筋が通っていることで、読みごたえがあります。タイトルの問いかけに、意外になかなかぱっと答えられないですよね。

kosodateiruka.hatenablog.com

我田引水-1.魂の救済のために

しかし。おっさんとしては対象領域を拡大してアイデンティティ(魂)の救済ということではどちらも決定打にかけるという我田引水をしたい。なぜなら、危機的状況に効くのは、「個別の」ほめたほめられた事例もさることながら、ほめてくれた記憶しかない人が自分にはいたのだという「総体として1個の事実」のほうがきっと足場になるはずだからである。

いってみれば、子供はどんなほめ方をしても大人になるし、ほめられて育った子でももっと大きくなるとその子なりの魂の救済を求めるようになる(それをいっちゃあおしまいよ)。はてなみてるとわかるじゃん(それもな)。あ、いまブーメランが戻ってきました。

我田引水-2.副作用の話

また、個別のほめたほめられたへの対応という観点でみると、ほめられるほうは条件付けを学習するという副作用がどうしてもつきまといます。これは、必要だけど、反面、俺にいわせれば、必要悪。俺というおっさんのことばではそれを不純、わいせつと呼ぶ。叱る/叱られることと、ほめる/ほめらることが、躾ということばで寄せられ、正当化につながる水路水門が開いてしまう。そんなのいやだ。できれば、叱られたくない。それに、叱るのは、大人の自信のなさ、ルサンチマンの裏返しという面がきっとある。俺がほめてほしいときに毎回ほめてほしい。2本目のブーメランがいま自分に刺さったところです。

三味線「ちりとてちん

ほんとうにいちばんいいのは、やっぱり、まったく叱らない/叱られないこと。あるいは、ほめる/ほめられるだけの関係。そんなのほんとにあったのか。答えのひとつは、ほとんどのみなさんが知っている小説。したり顔をした熊は、そういいたいようである。げふん。

「毎回褒める」のと「時どき褒める」のって、どちらが子供の才能を伸ばすか知ってる?【ほめる育児】 - イルカのトレーナーが子供を育てる方法をまとめてみた

「清は何と言っても褒めてくれる」「清は物をくれる」「後生だから清が死んだら坊っちゃんのお墓へ埋めてください」これだよ、これ。父親に罵倒され通したツンデレが、生涯の物語をラブレターにした。

2016/04/21 14:02

まったくすかした熊野郎。いやだねえ。

朗読「坊ちゃん」

(中略)清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違そういないと云った。

夏目漱石 坊っちゃん

坊ちゃんは教師あがりの街鉄の技手にしてはなかなか見どころのある人物(職業差別的発言)。ただ、1点だけ間違ったところがある。清が想像する坊ちゃんの将来像に具体性のないことをツンデレているけど、これは清に分がある。清は、坊ちゃんが個別具体的にどんな人物になろうとも、清にとっての坊ちゃんは総体では立派な人物。あ、逆か。総体として立派な人であることを疑わないから、個別具体性(身分、職業、勤め先、役職、給料)は二の次で構わない。

再び朗読「坊ちゃん」

それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰くり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並ならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。

坊ちゃんは、そんなふうに育てられたからこそ、教職をなげうって平気の平っちゃらで街鉄の技師に転身できる。清なら「それでこそ坊ちゃんです」と褒めるだろう。うらやましいなあ、坊ちゃん。

ついでに、暮らし向きのことになると妙に細かいところまで清は具体的。漱石先生は女がわかってないなんて悪口をいわれることもあるけど、女性ってこんなじゃんといわれたら頷くしかない。無造作を装っていけしゃあしゃあと描写しているのは、さすが名人の犯行。

話を戻して、まあ、罵倒一本槍の父親、青白くて面白みのない兄との関係の中から、清は本能的に、坊ちゃんを絶対的にほめることを選んだのでしょう。仮に清だけだったら、坊ちゃんはダメ人間に育ったろうと思います(「坊ちゃん」と夏目家に、機能不全家族モデルをあてはめたら、きっと卒論くらいにはなるよ)。

三味線「My Favorite Things arranged by GONTITI

GONTITI ~ MY FAVORITE THINGS

ロンドン時代の苦悩を経た漱石が、アイデンティティを取り戻し、「私の個人主義」にたどり着く中で、清のような存在=人物造形を必要としたこと、この(僕にとっては疑い得ない)事実は、興味深い。そう(膝を打つ)、それで思い出したのは俺のばあさんだ。

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

言葉と悲劇 (講談社学術文庫)

言葉と悲劇 (講談社学術文庫)

 

ばあさんは俺が16のときにアルツハイマーを発症した。それからばあさんは少しずつ近親者や身の回りのことや花の記憶たちを彼岸の彼方に送り出していった。俺は―正確には俺ら―俺とじいさん―は、しきりに連れ立ってばあさんの見舞いに行ったのだが、それはぽろぽろと欠損する自分たちのアイデンティティを祈る気持ちで補修する営みであった。その時期は俺の青年期のアイデンティティの危機、独逸浪漫派のいうところの疾風怒濤(こっ恥ずかしい)に重なっていたこともある。

親父はそんな俺たちを苦々しく思って「そんなことじゃだめだ」とか仰っていたが(敬語の誤用-身内への慇懃)、上野と北関東を結ぶ電車の行き帰りで読んだ「坊ちゃん」の記憶は四半世紀が過ぎようとするいまも薄れていない。

坊っちゃん (角川文庫)

坊っちゃん (角川文庫)

 

ばあさんは、俺を決して叱らなかった。ほめてくれた/物をくれた記憶しかない。「あなたは将来きっと立派な人物になる」「お嫁さんは、きっとわたしが探してあげるから」「本当は一緒に東京に出てご飯を作ってあげたいのだけれど」。

発症してから4年、19のころまでは成り立つ会話をすることができた。そのうち、病床を見舞う俺ら―繰り返し確認すれば、俺と爺さん―を相手にしきりにどこだかの孫の自慢を始めるようになった。頭がよくて、かわいくて、お手伝いをよくして、心のやさしい…

「…おかっぱ頭の…あらいやだ、そこお兄さん、おじいさん、あのかわいい子の名前は何といいましたっけ。これだから年を取ると物忘れがひどくて」

「○○…(俺、あわててじいさんの口元をおさえる)」

「はて、何といいましたか。ごめんなさい、僕も忘れてしまいました」

「思い出したら教えてくださいね」

「はい。あの、かわいい男の子ですよね」

「(にこにこと頷く)」

「偶然ですね。僕にもおばあちゃんがいるんです」

「あらまあ」

「とってもかわいらしい、色白で肌のきれいな、料理上手の、やさしい素敵なおばあちゃん。僕はおばあちゃんにここまで大きくしてもらったんです」

「おたがい幸せね」

 (そのまま眠りにつく。安心したみたいだ)

帰り道、じいさんが「たまには俺のこともほめてほしいんだけどな」とこぼしていた。じいさんは、徹頭徹尾、ばあさんを自分との関係でしか考えず、それをことばにすることにためらいがなかった。その潔さは妙にかわいかったと、いまでも折に触れて思い出すことがある。あのなじいさん、残存記憶がほめられるのは意外とつらいんだぜ。

サゲ「またねこの話」

だから、というか何というか、俺はねこちゃんのことを叱らない。そもそもかわいいねこちゃんを叱るという発想が実はよくわからないのである。もし人間に都合のよくない状況が生じたら、はなちゃんとくーちゃんに不手際を詫びる以外にないと思う。「私がちょっと面倒をみて一生苦労をかけずにすむのなら、そうしてあげたい」と、ばあさんは口癖のようにいっていた。口さがない連中が「まるでねこかわいがり」といっていたことを俺はガキのころから察していたが、そんなルサンチマンの削り節は屁の河童でござる。ね、はなちゃんくーちゃん。

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楽屋噺

「師匠、きょうの出来はどうでしたか」

「やな野郎だね。きいてたならわかるだろ」

「やはり、いまひとつ」

「うるせえ馬鹿野郎。ほんとはこの本みたいにやりたかったんだよ」

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

 

漱石は大きすぎますから」

「それな(背伸びして遣ってみた若者ことば)」

「誤解なきよう。どちらかというと師匠はだいぶ小さいという意味です。あれもこれも」

「アレもコレもか」

「特にあっちのほうが」

小保方晴子『あの日』ってか」

「だめです。それはまずい」

「もうカイちゃった」

「…(せっかくのいい話だったのに)」

あの日

あの日

 

幕間の業務連絡(同時進行ノンフィクション「取材」)

昨晩、オンラインで取材の趣旨説明ときちんとした申し入れを行ったところ、快諾をくださいました。この週末に、企画書を印刷して郵送する手はずになっています。楽しみに、待っていてくださるとのこと。すでにいくつか、貴重なお話を聞いています。がんばります。