日めくり百人一首の第2回。今回は持統天皇の名歌です。僕の中では百人一首の1、2位を争う名歌。
元歌
#002
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山
単語に切る
春|過ぎ|て|夏|来|に|けらし|白妙|の|衣|ほす|て|ふ|天の香久山
品詞分解
春(名詞)
過ぎ(ガ行上二段動詞「過ぐ」連用形)
て(接続助詞、順接)
夏(名詞)
来(カ行変格活用動詞「来(く)」連用形)
に(完了の助動詞「ぬ」連用形)
けらし(過去推定の助動詞「けらし」終止形)
白妙(名詞)
の(格助詞)
衣(名詞)
ほす(サ行四段活用動詞「干す」終止形)
て(格助詞「と」の変化)
ふ(ハ行四段活用動詞「いふ」連体形の変化)
天の香久山(名詞)
知識事項
・古文の動詞の活用の種類には、四段、上一段、上二段、下一段、下二段、カ変(カ行変格)、サ変(サ行変格)、ナ変(ナ行変格)、ラ変(ラ行変格)の9種類があります。
・覚える順番は、まず、カ変=来(く)、サ変=す、ナ変=死ぬ/往ぬ、ラ変=あ(在)り/を(居)り/はべ(侍)り/いまそがり、下一段=蹴る(意味=蹴鞠をする)、上一段=似る/居る/見る/干る/率いる/用ゐる/顧みる(ほか、若干あり)。
・これらを覚えたら、次に、四段と上二段と下二段を見分けることになります。これは、暗記での対応は無理。リトマス試験紙みたいな判別法があります。いずれそのうち。それをなぜここで話すかというと、この歌には動詞がけっこう出てくるから。
・「けらし」は非常に特殊な姿かたちをしている。過去/気づき/詠嘆の助動詞「けり」(ダッタンダナア)+推定の助動詞「らし」(ヨウダ/ミタイ)が接続して縮まった形、と、ひとまずは捉えれおけばよく、そこから一言でいうならば「過去推定」と説明も出来る。ポイントは過去推量の助動詞「けむ」というのがあって(けり+む)、これとは別物、というところ。推定(ラシのグループ)と推量(ムのグループ)の違いは、今回ここではめんどくさいので別途。
・高校古文では「てふ」は「チョウ」と発音すべしと説かれることが多いと思います。「てふてふ」→「チョウチョウ(蝶々)」という話なんですけど、実は平安初期には「てふ」はそのまま「テフ」あるいは「テプ(teph)」と発音されていたらしいことが分かっています。よって、高校1年生くらいの古文で「てふ」に傍線が引かれて「音読したときの読みを記せ」と出題されたら、しれっと「ちょう」と書いたうえで、古文の先生にあとでじっくり話を聞いてください。
・引用の格助詞「と」(今回の例ではトイフ→テフと形を変えていますが、もとは「ト」です)の上は、用言なら終止形が乗ります。これは感覚的に分かっていただけるかと。{<衣を干す>という}のように、完結(=終止)する形を引きますので。
解釈
春が過ぎて、気付けば夏が訪れていたみたい。(ほら、)まっさらの白い羽衣を(天女が)干すという天の香久山(をご覧あそばせ)。
・「気づけば」は、「けらし」に気づきの「けり」が含まれているため。
・(ほら、)(をご覧あそばせ)は、これが訳し方としては実はいちばん難しい。下の蛇足で補います。
技法
・2句切れ
・体言止め
蛇足
定訓やら、天智~天武~持統朝の揺籃~覇権云々という話がこの歌の解釈にはついて回るのですが、まずはそのまま、補う言葉を極力へらしてことばの通りに味わえばいいんじゃないですかというのが、僕の基本的な立場です。
この歌が楽しいのは、背景の読み込みよりも、むしろ意外な訳しにくさにあると思います。「~にけらし」★「白妙の」の★、すなわち句切れで一呼吸入れたあとのつながりが、絵柄としては直観的に理解できるのですが、言葉を補うことなしに訳すのが難しいんですね。僕は、指さしながら「ほらね」と、二句までのお題/なぞかけの答え(謎解き)を示す読みをしています。いつもの大野晋/丸谷才一説の受け売りですが、和歌には、このお題~謎解きのパターンがけっこうあるような気がする。
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もう少しいうと、
春過ぎて夏来にけらし
ここまで聞いた人は「ほほう」と思うわけです。「ほほう。それは一応わかった。でもそれをいうなら理由を示してくれるよね。次に何かあるんだよね」と期待する。
そこに、
白妙の衣ほすてふ天の香久山
これがくる。あまりに鮮やかで美して、一同言葉を失う。「そりゃそうだよな。うんうん。お見事」と思うしかない。もっというと、
白妙の←まだ謎解きがわからない
白妙の衣←ひょっとして、天女の羽衣かと思う
白妙の衣ほすてふ←おお、これはひょっとして、あれか?
天の香久山←キター
昔は和歌はかなりゆったりとしたペースで読まれていました。絵巻物のように、謎解きが進み、これ以上にない「天の香久山」で収斂する。体言止めで余韻が残るって、こういうのを指すのではなかったかと、思います。
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そして、列席した貴族が父である天智天皇の治世の苦労を思い、時代は変わった、夫である天武天皇による統一国家の幕開けを予感するのは、歌会を終えて帰途についてからではなかったかと、僕は思う派です。
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折口信夫(×のぶお/○しのぶ)が、この歌にかんして御斎衣を干したのではないか云々と述べていました記憶がありますが、うーむ、折口にそういわれるとそうかなと思い(何せ古代人になろうとして山に籠ったとかいう御仁)、さすがの折口でもそれは歌全体のトーンとは微妙に齟齬が生じるのではないかと。うーむ。だったら、初夏の霞説をとりたい。
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いずれにせよ見事な、いい歌だなあと思います。