illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

竹田青嗣の名誉のために

しいたけ先生からブコメをいただいた。深く宇奈月温泉。うんうん。

id:watto 竹田青嗣いいですよね。「あれは竹田青嗣オリジナルであって、フッサールでも現象学でもない」みたいな批判はよく目にしますが知ったことかというやつで、実感を伴ってわかりやすいのが何よりなんです。

うんうん。あれはフッサールでも現象学でもないです。でも、竹田がフッサールを読み進める中でつかんだ世界了解の仕方、そのつかんでいくプロセスは、いつ読んでも「ほんもの」だなという気がします。出来不出来もあるけれど。

2点、紹介します。

まず1点めは、見田先生のこれ、85年頃の時評集です。しかし30年が過ぎたいまでもまったく色あせるところがない。いま、書庫を漁ってきたのですが見つからず、引用できなくて残念ですが、繰り返し読んだ記憶によれば、竹田青嗣が世界了解の手ごたえを得るときに万感の思いを込めて使用する「ほんとうに」という副詞の用法に見田先生が着目して、深く共鳴している断章があります。

90年代半ば過ぎからこのかた竹田はほとんど同じことしかいわなくなる。ように思う。それでも、初期作品の手探りは、西研の一般紙(例、毎日新聞)デビューのころと並んで、とてもスリリング。

2つめは、95年頃の『情況』だとしか覚えていませんすみません。

何かのインタビューで、竹田が、

若いころに世界はこれだという確信のようなものを得てしまったら、その人は、よほどがんばらない限り、普通の幸せを手にするのは難しい。

云々、と述べているんです。東京都の図書館に照会するなりして、後で出典を正確に調べてみます。

に、しても、当時住んでいた、世田谷経堂の本屋さんで立ち読みしていて、バールのようなもので後頭部を痛打された感覚は忘れがたい。書店を出たとき、ああ、俺はひょっとして狭い世界なりに幸せになりにくい体質なのかという蜘蛛の糸が空から降りてきた。しょうがないので雀荘に行き、それから府中競馬場に行き、たしかあれはダンスパートナーユウキビバーチェの950円を獲ったときではなかったか。エルカーサリバーにお世話になったのは93年。それよりは後だったはず。

俺の話はさておき、在日韓国人という出自を含めて、若いころの竹田は、何かを掴んでしまったのだろう。その肩こりのようなものをほぐすのに、現象学が彼の場合にはたまたまフィットしたのだという感じ方は、なんとなく、わかる気がする。

あれから、もう20年が経っちゃったんだね。ね、くーちゃん。話しかけたけど、くーちゃんは知らなくて、そのまま寝ていてね。おやすみ、かわいいさん。