11/6 19:45
帰宅。くるみちゃんのペット保険加入証書が届いていた。今年の開高健ボジョレーの集いの報せも。12月9日夕刻内幸町。行けるかな。リンクは去年2014年のもの。
11/7 5:35
起床。トイレとお水と朝ごはん(ねこちゃん)。いつもお世話。そのままだらだら過ごす。石川泰司「消えた男たち」を読む。森安(敏明)はシロだ。
7:15
きょうはくるみちゃんを避妊手術前の体調チェックにお連れする日。まだケージの準備をしていないうちから、くるみちゃんがロフトの隅から動かない。いつもはこんなことないのに。
7:35
ケージを準備する。はなちゃんが窓辺からけげんな表情で見下ろす。
7:45
くるみちゃんをロフトから抱き上げ梯子を下り、ケージに入っていただこうとするが、激しくいやいやをなさる。ロフトへ走り去る。
7:55
病院のことは忘れたふりをする。くるみちゃん階下へ。そのまま忘れたふりを続ける。
8:05
テーブル下でびっくりしたような警戒の表情を見せるくるみちゃんを抱き上げ、ケージに入っていただこうとするが、返り討ちにあう。くるみちゃん再びロフトへ。
8:15
下僕、ロフトからふたたびくるみちゃんを抱いて下り、そのままなんとかケージに入っていただく。にゃあにゃあ鳴かれて切ない。ごめんにゃ。
9:15
病院に到着。受付を行う。「xx(名前)です」と名乗ったところ「くるみちゃんですね」と返してくれる。うれしい。
9:25
体調チェック。体重2.87kg。触診の結果異常なし。避妊手術と抜糸の日程を相談する。11/21手術、12/5抜糸、手術前日の11/20は21時以降食事厳禁、お水は可、当日11/21朝も食事なし、万一なにかを食べてしまった場合には連絡をとのこと。手術に伴うリスクと、過去8~9年の事故未遂(1件:術後、一時的に目がみえない状態になった。だが無事に回復した)の説明をしていただく。
一般的に、手術のリスクは、(1)麻酔の苦手なねこちゃんがいる、(2)手術によって、隠れていた奇形や身体の問題が顕在化する、(3)術後、抜糸までのあいだお腹がぽっこり腫れたようになる、概ねこの3点だそうだ。こちらからは「先生を信頼してお任せします」と伝える。
「くるみちゃん、最近は発情前期なのか食事の量が少し減ったんです。大丈夫ですよね」
「(笑)大丈夫。少しぽっちゃりしているくらいです」
「これでもですか!?(笑)」
診察料は再診料の540円のみ。2016年のカレンダーをいただく。宇井先生、噂に違わぬ名医だ。
10:25
帰宅。ケージを開け、少し促すと、くるみちゃんしばらく周囲を警戒したのちに急いでロフトへ。不安な思いをさせてごめんにゃさい。
11:00
ねこちゃんをケージにいれ、電車で隣駅の病院まで往復する。
たったそれだけのことで、いろんなことに気づく。例えば、ホームへ登るエスカレーターや階段の幅は、(たかだか)ケージを下げて利用するのに快適とはいえない。電車は1本遅らせてでも空いている車両に乗り込むべし。バックパックやビジネスバッグなどと比べて、ケージはずっと邪魔になる。電車を待つ間、線路からはできるだけ離れた後方に立つべし。ねこちゃんに好意的なひとばかりではない。意外に、じろじろと、好意的とはいえない視線をケージに向ける人が、年齢性別を問わず、いることにあらためて気付かされる。ショッピングモールでは、入り口でひとこと「ケージにねこが入っているんですがこちらに置いて買い物をしてよろしいですか」と尋ねる、など。
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おなかに赤ちゃんのいる女性や、身体にハンディキャップを負う人の立場をより理解するために(なんという浅はかな表現だ)、いろんな仕掛けを装着したり、状況を設定したりして味わう(!)、体験フェア(!)みたいなイベントがときおり催され、ニュースになる。
あれが一向にだめな理由がきょうはっきりとわかった。倫理学や哲学では想像上の立場交換という命題が与えられるのだが、想像上の立場交換には、「愛おしい」と心から思えるようなわがもの、が必要なのである。おっさんがエプロンを装着しておなかに数キロの重しを入れて街を歩いたところで愛おしく思うわけがない。おっさんが目隠しや手脚の枷(かせ)を付けて階段をのぼりおりしたところで、そんな装置は「外してせいせい」するためのものだ。
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大切なねこちゃんをケージに入れて(ついでに引っかかれて痛い切ない思いをしながら)街を歩いてみればいい、とはいわぬ。これは俺が好きでやっていることだ。俺はたかが避妊手術の必要性と、くーちゃんのためにと思って(俺は「ためを思って」といわれる説教がなにより嫌いでこれまでの40有余年を生きてきた)きょうのところはとりあえず痛くない病院にいっしょに行ってもらう、ただそれだけのことを、ねこちゃんにうまく伝えることができない。人類と知性の歴史には絶望するほかにない。優先順位は殺戮よりもニャウリンガルの精度向上であるはずだ。
そして、そのような事実は、俺というおっさんの魂を実に厳粛な気持ちにさせる。くーちゃんはきょうの一事で俺のことを少し嫌いになったにちがいない。今夜から一緒に寝てくれなかったらどうしよう。これまで大切に大切に、見守ってきたつもりだったのに。
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開高健が、戦場をくぐり抜けて「ああ俺は生き延びた」と思ってベッドに横たわるときの生の充実はなにものにも替えがたいとどこかで記していた。しかし、と開高は続ける。そこがあのおっさんの本領である。その生の充実は、短いあいだに消え去り、あとはいつもながらの退屈が自分を支配するようになるんですな(赤葡萄酒をちびりちびり)。
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ねこは偉大である。文学を嗜む有象無象どもが、ねこに惹かれる理由の一端がわかるような気がする。