ひとことものを申したい。
いや、すばらしいんだ。目から謎の汁が滴ってくるほどにすばらしい。
しかし感情と思想は別だ。
「自分が欠けることによって世界の美は完結する」という三島由紀夫の逆説を、俺はわりあいに好む。江藤淳が自戒したのも同じところに帰着するのではないかと思うこともある。俺は生きるけれど。
それは、はなちゃん、君が俺に「シャー」をする日々を、俺は記しているから。
愛情は完結しない。仲間由紀恵もえねーちけーで、社会主義者に捧げた愛情を「溢れてくるのよ」と語っていた。思うに、大切なことは、俺たちは、物語の、その後を生きているってことだ。だっていまはポストモダンなんだろう? 俺だってねこ姫さまと生きる光栄に与ろうとは想像もしていなかった。
プロポーズに帰着しない、365日×ねこ姫さまとの20数年間と、プロポーズするまでの365日間のすばらしさは、俺はひょっとして等価かそれ以上ではないかと、ふと、考えることがある。そんなことはいいから、早くそこをどいて、ウェットフードを食べさせてほしいにゃと、君は鳴いているみたいだ。
(追伸)ちなみに、知らないと思うけれど、ダーリン、俺はいろんな角度から君を見ているんだぜw