伊東一雄(パンチョ伊東)さんと馬立勝さんの名著を読んで思い出した。そうだ俺はいろいろ格好つけたことをいったり書いたりしているが本当はゲイロード・ペリーが好きだったのだ。
Gaylord Jackson Perry(1938-)は、一般には不正投球の名人として知られる。SFジャイアンツなど延べ9球団を渡り歩き22年間の現役生活で314勝を挙げた。ボールにワセリンやポマードをつけたり、紙やすりで傷をつけたりして勝ち星を稼いだといわれる。見るからに怪しい、余計な動きをしているのが楽しい。
Gaylord Perry - Baseball Hall of Fame Biographies ...
ジャイアンツで2年間チームメイトだった村上雅則も「ペリーはスピット・ボールを投げていた」と証言している。しかし誰も証拠を掴めなかったため、引退前年の1982年8月23日に通常考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場処分になったことはなかった。また、別のある試合では「怪しい」と感じた審判がペリーを調べたところ、手の中からただの紙がでてきて、紙には「こんなところには隠さないよ。まだまだ甘いね。」と書いてあったという。
笑いながら記すが、そりゃ、ぜったいにやっているに決まっている。アメリカでは大統領と野球選手は引退後に会見を開くとともに自伝を記す美しい慣習がある。彼は” Me and the Spitter;: An Autobiographical Confession”(私訳『スピット・ボールと俺―自白調書』)を著し、そこで「通算300勝を達成した時にはボールに歯磨き粉をつけて投げていた」などと記しているのだ。自白は証拠にならない。織り込み済であろう。
これがその300勝を記録したゲームだ。内野ゴロが飛ぶたびにどきどきする。
1982 05 06 New York Yankees at Seattle Mariners Gaylord wins 300) - YouTube
ウィキペディアは「1982年8月23日に通常考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場処分になったことはなかった」というが、これはいうならば違法逮捕である。伊藤智仁のスライダーがありえない角度で曲がり落ちる(曲がるだけで落ちない)からといって退場宣告を受けただろうか。審判から処分されなかったということはルール的にはいちどもやっていないに等しいのである。
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あの人を喰った投球フォームのすべてが「スピットを投げるぞ」という(杉下茂のフォークボールばりの)ブラフだったわけではなかろう。が、314勝のうち、1割以下のゲームで、たまに投げたとして、やはり314勝分の実力値があったと僕は理解している。ベースボールは不正投球だけで勝てるほど甘くない。わかったうえで、情況証拠を最大限、利用したのだとすれば、それは観衆を喜ばせるプレーになる。
ナックルボールが好きだった山際淳司なら「そう、捉えておきたいと思った」と結んだことだろう。
…アメリカ大リーグの往年の大打者であるスタン・ミュージアルは、「スピット・ボールを投げられたときは、どうして打つのか?」と訊かれて、「ボールの濡れていないほうを狙って打てばいい(hit by dry)」と答えた。それを聞いたある野球解説者は、「さすが大リーガーは技術のレベルが高い」と感心した。「ボールが止まって見えた」などという、精神的技術論ばかり聞かされているものだから、ジョークが理解できないのだ。
玉木正之「スピット・ボール【spit ball】」新潮文庫『プロ野球大事典』所収P.302
ペリーが”ご用”になったのは、引退6年前の1980年で、これは審判員の判断で退場、10日間の出場停止処分を受けた。しかし、ペリーのスピット・ボールはビーンボールのような危険投球ではなかったのでファンに楽しまれていた。引退後のオールド・スター戦でペリーがマウンドに立つと、バケツ一杯の水が用意されていたあたりにその気分がうかがえる。
伊東一雄/馬立勝「違法のテクニシャン」中公文庫『野球は言葉のスポーツ』所収P.102
野球記者たちはその特殊技術に敬意を表して、1991年にペリーを殿堂に送り込んでやった。
同P.103
ESPN Sportscenter commercial - Gaylord Perry and Vaseline - YouTube
ゲイロード・ペリーは(おそらく引退後のことだろうが)ワセリン販売会社を経営していたという。ここまでやられると、彼の野球人生は「パーフェクト・ゲーム」というほかにない。パンチョ伊東先生は70年春に来日した彼に会い、その微妙に傷のついたボールを見せられたときに感激して手を叩いたそうである。うらやましい。