illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

冬空から見える風景/京大ギャングスターズと藤田俊宏さんについて

 秋になり冬が近づくと読みたくなる短編がある。たとえば藤沢周平の「玄鳥」。北村薫「空飛ぶ馬」。池波正太郎「正月四日の客」。原秀則冬物語」(シェークスピアではない)。増田戻記/あかね創作絵本「オコジョのすむ谷」。

オコジョのすむ谷 (あかね創作えほん 6)

オコジョのすむ谷 (あかね創作えほん 6)

 

 しかしこれらはその作品世界からして、本格的な冬の到来とともに読むものである。あるいは晩冬早春に。

 11月から12月の足音が聞こえてきたころ、金木犀の香りが街をかけぬけるころに僕は毎年、急かされるようにしてある短編を手にする。ストーリーは暗記している。登場人物のおひとりとはひとことふたこと話したことはある。感極まるポイントも決まっている。が、それでもその作品は山際淳司の秋冬もののベストであり、25年以上にわたって僕を魅了し続けている。

 「一二月のエンブレム」という。
 先に京都大学の田中英祐投手が関西学生野球連盟から特別功労賞の表彰を受けたが、いまから32年前、1982年の冬のシーズンに京都大学のアメリカン・フットボール部「ギャングスターズ」からQB/TBの松田明彦が年間最優秀選手賞であるミルズ杯と、甲子園ボウル敢闘賞に選ばれたことはご存じだろうか。おそらくこのブログに足を運んでくれるくらいの方だから耳にしたことはあると思う。


京大史上最高のRB 松田明彦 - YouTube

 田中投手の輝かしい将来は将来のスポーツライターが記してくれることだろう。僕は昔話を受け持ちたい。

 僕はこの「一二月のエンブレム」に登場する松田さんと話をしたいと思っていて、インターネット上でお見かけしてひとことふたこと言葉を交わしたことがある。たしか震災前のことだ。松田さんは東京ガスのアメフトチームの監督か部長を務めていらっしゃった。近く取材に伺わせてほしいというお願いを伝えるところまでは辿り着いたのだが、松田さんと僕の双方の多忙のために残念ながらすれ違ってしまった。
 僕にはひとつ確かめたいことがあったのである。それは、82年初夏のプレー中に何らかのアクシデントのためにか意識を失い、約1ヶ月後に息をひきとったチームメイトの藤田俊宏さんのことだ。

 松田のバックナンバーは<31>である。
 <31>番の松田は、その日<26>のエンブレムと一緒に走った。そのことを彼は一生忘れないだろうと思った。京大ギャングスターズが甲子園ボウルに出場できたのは、ひょっとしたら、その<26>番のせいかもしれなかった。チームのだれもが、そう思っていた。松田も、そう思った。
 TBの松田はその日、三二回にわたってボールを持った。そしてトータルで312ヤード、前進した。申し分のない記録だった。ふつう、甲子園ボウルに勝ったチームから選ばれる年間最優秀選手に、敗れたギャングスターズの、ほかならぬ彼が選ばれた。<ミルズ杯>と呼ばれる、ずっしりと重いトロフィーを手にしたのが松田明彦だった。
 しかし、そのことよりも<26>のエンブレムのほうが、彼にとっては重要だった。

山際淳司「一二月のエンブレム」角川文庫『空が見ていた』所収P.70-71

 藤田俊宏は宮崎県の延岡西高から二浪して京大に入る。二浪したのは京大でアメフトがやりたいがためだった。松田は都立富士高からやはり京大でアメフトをやりたいと思って工学部に入学する。二人は銀閣寺の近くに下宿し、同じ喫茶店に通い、ほとんど同じスピードで40ヤードを駆け抜け、TB/FB/QBといったバックスのポジションを競い合う。4年間ずっとそうなるはずだった。

 30年が過ぎて僕はある記事を目にする。

 僕が松田さんに尋ねたいと思っていたことの答えの多くが、そこには記されていた。

 「一二月のエンブレム」は、山際淳司が表現と構成の巧を尽くして書き上げた作品である。松田は何のために走ったのか。彼にとっては何が重要だったのか。82年の甲子園ボウルは下馬評通りに日大フェニックスが65-28で京大ギャングスターズを下す。

 表彰式で、最初に松田明彦の名前が呼ばれた。彼はそれを敢闘賞だろうと思った。アナウンスがきこえなかったからである。敗れたチームから選ばれる敢闘賞がなぜ最初に手渡されるのかいぶかしみながらトロフィーを受けとった。しばらくすると、もう一度、彼の名前が呼ばれた。チームメイトがまたお前だとうながした。おかしいなと思って、手もとのトロフィーを見ると、そこには<ミルズ杯>と書かれていた。

前掲書P.82

 巧みな作品構成はこの結びで一気に氷解する。その瞬間の味わいは、ぜひ手にとって感じ取ってみてほしい。

 野暮を承知でいえば、山際淳司は「答え」を明記してはいない。スポーツマンと彼/彼らにとっての栄光と、その記憶から消えてしまわないことがあるとすればそれは何なのか。答えは受け手の読者に委ねられている。

 核心と、周縁にあるものの手応えを確かめ、忘れないようにと思って、僕は冬がくるたびに「一二月のエンブレム」を手元に引き寄せている。機会を見つけて延岡に足を運んでみたい。

空が見ていた (角川文庫)

空が見ていた (角川文庫)