illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

才能と友情の近代的逆説/78年ドラフト江川事件の補助線


1980年 江川卓 小林繁と初対決 - YouTube

皮肉や逆説ではなくて、江川卓は野球の女神から試練を与えられた人だと思う。

才能があるのに彼は心から野球というスポーツを楽しんでいないように見える。江川が60個の三振を奪った73年春の大会の最中に僕は生まれたので、作新学院時代の姿勢は知らない。大きくなってから回りの大人たちが「江川はいつもどこかふてくされているように投げている」と話していたことを知るのみである。

プロに入ってからもそうだった。入団時のいわゆる「空白の一日」問題が彼のパーソナリティに影を落としているのはまちがいない。首を傾げ、自分の投球にか、肩の調子にか、あるいは球審の高低の判定にか(江川は内外のコントロールを誤ることが決してない)、ファンからは見えない何ものかと戦いながら、ときおり阪神戦で目の覚めたような快投を見せる背番号30は、得体の知れない何かを宿しているように少年ファンの目には映った。それは80年代のスポーツマンには珍しい近代的な自我ではなかったか。彼の原風景に近いと思われる文章に出会った。

岡崎満義さんのインタビューに、現役生活晩年(昭和61年春ごろ)の江川は次のように話している。

 ――三年の春ですね。

 ええ。甲子園に出て騒がれて、そのあとはいっぱい新聞記者が来るようになったんです。それで沖縄に行ったとき、昼飯を食おうとしたら、カメラマンや記者がダーッと寄ってきてぼくを撮ろうとする。チームメイトが一人、二人と離れていくようになって、まわりの人間がみんなぼくから逃げてしまうようになった。ぼくもまだ18歳でしたからね、そんな年ごろで友だちをなくしちゃうのは一番怖いことですからね。こんな状態では友だちがいなくなる。友だちをなくさないためにはどうしたらいいかを考えました。マスコミに嫌われて取材をしてもらえなくなるのが一番早道じゃないか、と思ったんです。

文藝春秋スポーツ・グラフィック・ナンバー編『豪球列伝』所収「江川卓」P.238-239)

 

浪人を経てジャイアンツに入ってからも、江川のこの姿勢は基本的に変わらない。

 「江川さんはああいう形で入団してきて、みんなにずいぶん冷たい目で見られましたから、なんとかチームに溶けこもうとして、ものすごく周囲に気を使った。極端にいうと、ほかの選手が五時間練習するところ、江川さんは一時間か二時間で終え、あとの三、四時間はひたすらチームメートとのつきあいに使うという感じでね。それで、おれは世間でいわれているような男じゃないとみんなに訴えたんです」

 と西本はいった。

海老沢泰久『ヴェテラン』所収「嫌われた男」P.36-37)

江川には友だちがいない。いたとすればキャッチャーの小倉偉民(現姓亀岡/自民党国会議員)だったろうか。ジャイアンツと、マスコミと、船田中と、蓮実進が23歳の才能のある孤独な若者を利用したという見方もできる。通算135勝におわった江川はその才能と通算成績の比重からいって、平松正次(通算201勝)や星野仙一(通算146勝)のようにジャイアンツを蹴られて他球団でその屈辱を晴らす形に向かったほうがよかったのかもしれない。また、彼の不幸は、余りある才能のために、それまでずっといいぶんが通ってきてしまったことにあるともいえる。自分は江川事件の被害者だといいたそうな匂いがふとした隙に漂ってくる理由もきっとそのあたりにある。

 

ここまでで判断保留にしていたつい先日、亡くなった小林繁のすばらしい映像を見た。このCMのことは知って目にしていたが、江川と小林の言葉にならない部分にはたと思い至ったのである。


小林繁 江川卓 黄桜CM long edit - YouTube

江川の「留保抜き」があからさまに引き出されている。自分の内側を見つめ、ことばを探り、説得しようとする眼差しはセクシーですらある。ジャイアンツの若手投手陣を口説いたときもあるいはこんなふうだったのか。詐欺師と紙一重――いや、小林繁(通算139勝)のためにも穿った見方は封印するのが節度というものだろう(それにしても小林はいい男だ。惜しいエースをジャイアンツとタイガースは失った)。

自分の下した選択によって他人を否応なしに巻き込み、傷つけてしまうことがある。自分もまた返り血を浴びる。10代のおわりから20代の初めに多くの人が味わうことだろう。大人になるというのはそういうやるせなさを1枚ずつ噛み締めていくことだと、自分の経験に照らしてもそう思う。


元巨人エース小林繁氏が急死 江川氏「すごく残念」(10/01/17) - YouTube

江川の表情が本当のものだとしたら、江川卓にとって小林繁は野球を通じて得た、ただ一人の友だちだった。江川はタイガース戦で小林が投げるときだけは本気になって立ち向かったという。王や藤田のためには本気になれなかったのだ。その屈折した気持ちが、どこかわかるような気がする。

 

(追伸)54号、55号騒動のときにバースに真っ向勝負を挑んだのも、日本球界にとって同類の「異者」として江川が本気になれる親しみを感じていたからかもしれない。

 

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2人の対照的なスポーツマン人生の形について「Fire & Ice」が参考になるかもしれない。