illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

永田雅一と西本幸雄の攻防(1960)をめぐる断章

今週のお題「運動会とスポーツの秋」

 運動会のイベントで思い出にのこることといえばフォークダンスで好きな女の子の手を握り交わすこと…ではない。それもそうだがそんな話はここではするものか。

 昼食休憩時に地面が長く揺れた。会場は騒然となり、拡声器から聞こえる「トランペット吹きの休日」がNHKの「地震発生」の臨時ニュースに切り替わった。震度は5弱くらい。


08 Bugler's Holiday - トランペット吹きの休日 - YouTube

 小学校5年生のとき(1983?)だったと思う。切り替えてくれたのは理科のO先生。教務主任か何かを務めていて後に転出先で校長先生になった。独特のくせのある字を書く教え方の上手なやさしい先生だったけれど、そのことよりも比較的長い揺れの後に地震の規模を知りたいと思い、自分の関心は会場全体の関心とリンクするとほとんど瞬時に本能的に判断した(のだと思う)職業的な感性が強く印象に残る。会場が水を打ったように静まり、親子全員が一心に耳を傾けたあと、どこからともなく拍手がおきた。

 

 戦後の日本でこれに似たことが全国規模でおきたことがある。らしい。僕(1973-)が生まれる前の話である。いちどめは昭和20年8月15日の正午である。平岡公威という人はここをグラウンド・ゼロとして三島由紀夫に生まれ変わり、『豊穣の海』で同じ場所に還っていった。

 2度めは1960(昭和35)年10月12日の午後3時13分過ぎのことである。

 大洋と大毎で争われた日本シリーズ。この年のホエールズは三原(脩)マジックで前年の6位(最下位)から奇跡のリーグ優勝を遂げる。迎え撃つのは2番田宮謙次郎-3番「さらば、宝石」榎本喜八-4番山内和弘と連なる大毎ミサイル打線。第2戦のイニングは8回に進んでいた。3-2で三原ホエールズが西本(幸雄)オリオンズをリードしている。1アウトで塁上には3人のランナー。満塁である。バッターは大毎ミサイル打線が誇る強打のキャッチャー谷本。このゲームでは5番に入っている。谷本はこの年86本のヒットで43打点を叩き出し.265の打率を残しているから、オリオンズにとっては同点か逆転のチャンスといえた。西本は、しかし、ここで意表をつく狙いか谷本にスクイズを指示する。

 スクイズは決まったように見えた。だが打球が思ったよりもわずかに転ばなかった。ホエールズの名捕手土井淳がこれを掴み三塁ランナーの坂本文次郎を叩きアウト、そのまま1塁に送球して打者走者の谷本もアウト。オリオンズのチャンスは消えた。

 

 これを川崎球場で観戦していた大毎の永田雅一オーナーが怒った。同席していた野球関係者に「いまの作戦はどうだった」「ありませんね」と確かめた上で、試合後に西本に電話口で「馬鹿野郎」と怒鳴ったのだ。応じる西本も見事だった。「馬鹿野郎とは何ですか。試合中は監督に全権がある。いまの発言はオーナーといえども取り消してください」残りを勝てば面目が保たれたのだろうが、結果的にシリーズは4-0のストレートでオリオンズが負け。西本は敗北と采配と発言の責任を取る形で監督を辞任する。

 

 話が少し流れたように感じる方がいらっしゃるかもしれないが以上が前段である。坂本が本塁でタッチアウトになった瞬間に日本中がしんと静まり返り、瞬時に騒然となったといわれる。西本の作戦失敗が響いたためか。そうではない。まだ第2戦であり最終の9イニングを残している。終ってみれば4連敗だが、この時点では三原マジックよりも大毎ミサイル打線の威力を信じる人のほうが多かったともいわれる。

 それではなぜ静まり返ったのか。それは、テレビに「浅沼稲次郎社会党委員長暗殺される」のテロップが流れたためである。市井の人にとってよほど印象的な時代の1シーンであったらしい。当時、養鶏を営んでいた僕の祖父母(1920年生まれと1923年生まれ)が僕がものごころついてからもこの話を繰り返し繰り返し聞かせてくれた。冒頭に書いた昭和58年ごろの運動会の地震のときにも話はいつの間にか浅沼暗殺と榎本喜八に移っていったくらいである。


10 - 浅沼稲次郎暗殺事件 - 1960 - YouTube

 以上は見たように記したが若き日の沢木耕太郎の著作に多くを依っている。若いころの沢木耕太郎東南アジアをちゃらちゃらと旅する以外にも実にいい仕事をしていた。

敗れざる者たち (文春文庫)

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  「さらば、宝石」に、才人榎本喜八の半生と1960年の日本シリーズの様子が詳しい。

テロルの決算 (文春文庫)

テロルの決算 (文春文庫)

 

  山口二矢の軌跡を描いた渾身の政治小説といえる。同じ主題を扱った大江健三郎「セブンティーン」は沢木に比べればお粗末である。

 ちなみに、1960年の西本のスクイズ失敗は歴史的にみた場合「江夏の21球」(1979年)の伏線ともいえて、悲運の名将と冠せられるこの監督(僕も大好きだ)の作戦と姿勢に対し宇佐美徹也さんが的確な批判を加えているのだが、それについては別の稿で記すことにしたい。

 

(追伸)戦後の「静まり返った」3度めは、少なくとも僕にとっては、ということだが、震災のあとの陛下のテレビ(ビデオ)出演とメッセージであった。あらためて諸々に頭が下がる思いである。また、記事中の「瞬間/瞬時」というのは、人が記憶を物語として呼び覚ます際に用いられる一種の(事実に近接してはいるが)レトリックであることをお断りしておく。