illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

いつものやさぐれノンフィクション論とは別の話

今週のお題「憧れの人」

 少し時間があるので今日はいつもの「やさぐれスポーツ・ノンフィクション論」とは別の話を書く。口調は同じツンデレ調だが気持ちは違う。でもツンデレである。

 

 僕(1973-)はオイルショックの年に生まれた。厚生労働省が1980年頃の食生活は「栄養バランスに優れた『日本型食生活』が実現されていました」といっているのでその恩恵をうけて育ったクチである。1日3食。野菜中心。肉は鶏。魚は鰯とししゃもと秋刀魚とホッケと鯖と鮭とたまに鯨とタコとイカ。豆類ありおからあり。北関東の2種兼業農家というのはおそろしいもので庭先でたいていの季節の野菜がとれる。そしてそれが当たり前だと思って育つ。

 アスパラガスは庭先に生えているのを朝露とともにもぎって口にするものである。学校から帰ってくるとやはり庭先の筵(むしろ)に梅が天日干ししてあるので選んで食べる。ちなみに選ばれなかった者たちは袋詰にされて市場(いちば)に出ていく。栗、トウモロコシ、玉ねぎ、ニラ、かぼちゃ、ニンジン、いちご、なんでもそうである。百姓最強。肉と魚は庭に生えていないのでスーパーオータニで買う。イトーヨーカドーでもいいが食材によって店を選ぶのが知恵というものであろう。たまに売り物にするベランダの食用菊を口にして後悔したりもする。そういえば庭の外れには無花果も生えていた。野球で転んで擦り傷を作ったらアロエを貼る。木瓜の実とカマキリの卵の区別が幼稚園児にはつかないのも大事なポイントである。柏も植えていた。木に登ってよさそうな葉をもいで節句に餅をくるむのである。渋柿は軒下に吊るしていい塩梅に干からびたところを選んで切り落とし、冬場にこたつにはいって猫と婆さん(1923-2002)ともにほうじ茶を淹れていただくものである。これを至福という。

 それくらい圧倒的な食生活だったが、しかし、やがて大人への通過儀礼が訪れる。

 中学校の帰りにマックで買い食いをすることを覚えるのだ。

 マックというのは固有名詞だが同時に代表例である。

 まずいのはわかっている。まずいに決まっている。

 が、「格好よさそう」の論理の前にわが庭の野菜は太刀打ちできない。なぜだ。なぜなのだ。うちの白菜の漬物のほうがどうしたってうまいのに。何だかよくわからない権力闘争と文化カーストのようなものを前にして、わが家秘伝の絶妙のアレンジで漬けられた、しゃきしゃきの歯ごたえを湛える白菜はあえなく敗北するのである。なぜだ。なぜなのだ。そしてそのうち僕はマックを皮切りに大したことのないジャンクフードの浸食を許してしまう。許せ白菜たちよ。

 余談だが、正嗣の餃子がうまいとか、いや俺はみんみん派とかいう人もいるが、だまされてはいけない。どちらもうまいが、某市の餃子の消費量の実情は、イトーヨーカドーで具材を買って週末に一家総出で皮をくるんでいたらいつのまにか増えていたというだけの話だ。だまされてはいけない。正嗣もみんみんも否定はしないし、確かにそれなりにうまいのだが、1980年代を知る地元民にとっては、あれは少々違うのだと記しておかなければならない。

 閑話休題

 東京も似たようなものである。うまいはうまいのだが、18歳で上京して以来、文化カーストで1mm程度のエレベーター上昇、皮相上滑りを楽しむためになんだかよくわからない店を開拓してきた気がしてならない。よその国に出ても似たようなものである。インターネットを頼りにして、崩壊した地域共同体の代償行為をOKなんとかとか食べなんとかとか、そういうのに頼って、それで俺たちが食べたものは、せいぜいが地方出身のイベントコンパニオンであろう。それ、うまいのか。

 

 しかしここにきて状況が変わった。俺はあるサイトを知った。ホマレ姉さんという。信者とかマンセーとかするわけではない。ただ、この人は野菜をよくご存知だ。俺の婆さんが、お袋(1949-2001)が野菜を知っていたように野菜を知っている。サツマイモとか、栗とか、甘みが邪魔になりかねない自然の扱いに手慣れている。それとスープ、ジャム、ソースの作り方が絶妙である。レシピサイトとして見た場合、注目する人は少ないと思うが、俺がとりわけ唸ったのは「伝えておきたいレシピ〜八つ頭のズイキ酢味噌あえ」だった。八つ頭の、それも茎(ズイキ)を、酢味噌(日本の誇る至上のソースだw)で和える。「かける」「まぜる」ではない。和えるのだ。

 姉さんは食を、文化を、代々伝わるものの形を、静かに話す。

 この辺でも生ズイキを食べる人は少なくなりました。青空市でも最近はあまり見かけません。私がこの地に来た頃、お年寄りは皆好んで食べていました。これを食べないと秋が始まらないと言う方もいましたね。世代交代して、今食べている家庭は何軒あるのでしようか?私も大好きと言うほどでもありません。でも、ズイキを食べると言うことを娘に伝えておかなくてはいけないと思うんです。彼女が将来作るかどうかは別として、母が作って食べていた…ということを残してやりたいんです。皆さんも何処かでズイキを見かけたら、是非食べてみてください。

  八つ頭というのはイモの中でも自然薯と並んで独特の風味があり秋のあれである。しかしそのズイキは百姓家でもまず食べない。貧しさを思わせることと、八つ頭本体が十分にうまいからである。八つ頭をゆでて頭を剥いてお醤油を垂らすか味噌、あるいは癪にさわるがマヨネーズでもいい、ちょっと乗せて熱々をほおばると史上空前のおやつである。いくらでも進む。俺は米国資本に侵される前はそういうのばかり食べていた。ちなみに落とされた茎はどうなるかといえば、かわいそうなことに刻まれて味噌汁の具になるか、糠床に潜り込んでいくのである(その味噌汁がまたうまいのだが子供にはわからないうまさである)。味噌和えはなかなか発想が及ばない。戦時中は食べたという話を婆さんから聞いた覚えがある程度だ。

 

 姉さんのレシピを作ってみて、到底かなわないなと思う。手より先に口が動く癖はまだ治っていない。反省している。このバカスケな口と頭がズイキうひょーとかいって肥後ずいきの話を始めてしまうまえに、今日も包丁を持とうと思う。