八重樫東のバウトを数日おくれで見た。
いい殴り合いだった。
八重樫と、対戦相手の「ロマゴン」ことローマン・ゴンザレスのファイト後の表情がほとんどのことを物語っている。八重樫の、戦い終えたあとの「やられちゃったよ」という、放心とはにかみが入り混じった目の放つ淡い光は、この人がボクシングの女神に愛されている何よりの証拠だ。
八重樫 東 vs. ローマン・ゴンサレス Roman Gonzalez vs. Akira Yaegashi ...
斎藤清作(たこ八郎)からいくぶんの狂気をとりのぞき、純度の高いスピリットを注いだような、そんな系譜に重ねてみたい気にさせるボクサーだ。もっとも、一般には「はじめの一歩」の実写版といったほうが時代の雰囲気にぴったりくるのかもしれない。
ちなみにいえば、僕が八重樫のバウトに釘付けになったのはこれで三度目。ポンサワン戦(2011年10月)、井岡戦(2012年6月)、そして今回。ポンサワン戦でファンになり、井岡戦で僕はこの人のことを追いかけてみたいと思うようになった。井岡戦のとき僕は用事があって石垣島のバーにいたのだが、男たちが、女たちが、肉をつまむ手を忘れて泡盛をあおりながら薄型の大画面に向かって、八重樫の繰り出す匍匐前進のごとき一歩に声を上げていたのを覚えている。
山際淳司に「逃げろ、ボクサー」という短編がある。
横浜で生まれ育った不良上がりのボクサーを描いたものである。時代は昭和50年代、テクニシャンであり、殴られることよりはどうにかして殴られずに12ラウンドを終えて判定で勝つことを美学とする若いボクサーの物語だ。階級はバンタム級。
磯上修一とのタイトル戦に敗れて、ジムの会長の視線を十分に意識して涙をこぼして見せるほどに、彼の内側は多面的な形をしている。そして悪びれることなく、ガールフレンドの車に乗り込んで湾岸通りのデニーズに向かう。
そんなスタイルが、時代の1シーンに相応しいものとして山際淳司の目に映り込んだ。
ハングリーなボクサーだなんていわれたくない。温室育ちのチャンピオンだといわれたいんだと、そこに自分のスタイルを見出そうとした大橋克行と、フライ級からスタートし、より軽いストロー級に転向して世界チャンピオンになった大橋秀行。二人の違いは決して小さくはないのだが、ぼくの目にはその違いは大きくは見えなかった。12勝11敗の戦績でリングを去った克行も、ボクシングというスポーツを通じて自分の存在をたしかめたかったのだ。チャンピオンにこそなれなかったが、その意志は強烈だった。その意志の輝きにおいては、世界チャンピオンにまでなった秀行と何ら変わるところがない。
そう捉えておきたいと思った。
スタイリッシュなボクサーの名前は大橋克行という。大橋秀行の兄である。八重樫東が育った大橋ジムの会長が秀行だ。
「兄きはどうしてる?」
ぼくは秀行に聞いた。
「元気でやってますよ。子供も生まれてね」
秀行はいった。
そのうち、リングサイドで大橋克行に会う機会があるかもしれない。かつてバンタム・ウエイトでリングにあがっていた男はミドル級の体重になっているだろう。それでもきっとかれは、今でも現在の自分の生き方に、かつてと同じこだわりを持ち、自分なりのライフ・スタイルを貫き通しているにちがいない。
山際淳司「あとがき」にかえて(角川文庫『逃げろ、ボクサー』P.252-253)
「逃げろ、ボクサー」の取材からおよそ10年後、90年代初めに山際さんがこんどは弟の秀行に取材をしたときの会話だ。
それからさらに20年。
大橋克行は何をしているだろうか。リングサイドで、あるいはテレビの前で、八重樫のファイトを見ていただろうか。
いつの日か八重樫東に迫る洗練されたスタイルのボクサーが登場し、その座を脅かすことを、かつての「逃げろ、ボクサー」がひそかに思い描いているとしたら。
そんなことを僕は想像している。