illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

8/31 京都お墓参り行ってきます

8/31(土)日帰りで、羽田→伊丹→京都→神戸→羽田、空路でお墓参り行ってきます。

やっと、時間がとれました。マイルも有効期限切れが近いまとまった量があったので。

何も空路でなくて新幹線でもという話ですが、よよん君のお家は無駄遣いをしないんです。

もし、当日、京都から西陣まで同行、あるいは現地集合してくださる方がいらっしゃいましたら、何らかのテレパシーを飛ばしてください。2ちゃんねるに専用スレッドを立てるとか最高にクールです。

いや、それはまずい。

京都着は昼前です。また、帰りは神戸20:00過ぎとかなのでわりとゆったりの行程になります。

うるせえ馬鹿野郎の話(結婚おめでとう)

おれはいま正直どうしていいのかわからないでいる。

増田に書けという話である。うるせえ馬鹿野郎。増田に書いたらおれは「何で自分のブログでやらないのか」と書くはずだ。それが VIPPER の務めである。

くそう。

*

「そうこうしているうちに結婚が決まりました」

という、おれの現代日本語口語のはるか上をいくメッセージを、先だってお嬢から、もらった。

おれはその瞬間から事態に遅れており、思わず太宰(人間失格)を読み直したり、稲垣潤一を聞いたり、さままざな対処を試みているのだが、状況は変わらない。

うるせえ馬鹿野郎。てめえら金髪豚野郎の批判でもしてやがれ。

*

いま、やっとの思いで、はなちゃんと、くーちゃんと、みーちゃんに、「○○ちゃん、結婚が決まったって」と伝えたところだ。シャーと返された。はなちゃんめ。

くそう。

*

おれはお嬢を1998-9年、小学3-4年生のころから知っている。それから2-3年にわたって知っていた。知っていたつもりだった。別れた妻の最愛の姪で、沖縄旅行にお連れしたりもした。確か、おれは2000年に結婚し、2001年の5月14日に練馬区役所に離婚届を提出した。

その、一切の非はおれにある。具体的にここに書くのは憚られる。すまない。お嬢は、経緯を知っていて、おれと会っても何ひとつ知らない振りをしてくれた。

*

おれがお嬢のことを思い出したのは、震災の当日夜、夜半、深夜である。あるいは翌日である。312にメールを送ろうとして、思いとどまっている。その形跡がBecky!にある。

おれはなぜかそのとき、お嬢のことを思い出した。生まれたときから心臓が弱くて、手術をして、いくつかの社会的差別や選別に合い、それでも賢い子で、アルゼンチンの現地校に通ったときには新婚旅行という体で、おれたちは学校を訪問し、歓待を受けた。

*

やさしい子だった。まだ、携帯がスマホに変わるか変わらないかのころに、おれの端末を覗き込んでくれて「何をメールしているの」と訊いてくれた。沖縄恩納村に3人で旅行中で、それは翻訳の進捗を(厳しく)尋ねるメールで先方の口調も荒れていたから、おれは思わずクラム(二枚貝)を閉じた。おれは妻から、

「何を○○ちゃんに隠しごとをしているの」

と詰問を受けた。そして閉口した。読者諸兄には、熟語的意味と、実動的意味の両方であることをお察しいただきたい。

*

震災の後に話を戻す。

おれはお嬢がまだ小学生か中学生のままでいると思っていた。おれは何よりもまず都心へと向かう北風が吹いたときに、お嬢を西へと逃さなくてはと思った。

「ランドセルに、教科書はいいから、あるだけの着替えと身の回りの品と物資を詰め込んで、山梨か、できればそれより西に向かったほうがいい」

とおれはメールをした。

必死の思いでアドレスを思い出した。後にわかったのだが、それは、お嬢もあと1週間ほどで解約しようと思っていたbiglobeのアドレスだった。

「いまはもう、大学生ですよ」

それが彼女の返信の第一声だった。

「ごめん」

とおれは謝った。

「まだ、△△(おれ)くんの中では私はランドセルを背負っているんですね」

お嬢は、笑って、そんなふうに返してくれる子だった。

いま気づいたが、おれは2011年当時から負けており、精神的な成長を重ねていないのではないか?

*

2011年当時はまだ北関東の実家におり、その後モスクワ駐在を経て、2014年に東京に戻ってきた。そのころ、風来坊のおれにも、何となく、ねこがいると生が変わるのではないかという予感があって、

「ねこちゃんをもらおうと思うんだ」

とぼそっと尋ねたら(駐在の見送りにも、戻りにも、わざわざ西船橋まで来てくれたのである)、

「おおー」

といって賛成、賛同してくれた。ウェブ(ねこじるしなど)でちょうど検索して出会ったのが、はなちゃんで、お嬢は、はなちゃんの紹介写真を見るなり、

「はなちゃん」

メッセンジャーをくれた。だから1人目にはなちゃんをお迎えした。おれは、くーちゃんが第一だが(すまない)、だからお嬢にとっては、はなちゃんが以来ずっと、お仕えするねこちゃんの筆頭にいるのではないかと思う。

*

2001年に、母を送り、離婚をし、2011年までの間は辛うじて、よよん君に生をつないでもらった。2011年からは、おれはよよん君と、お嬢と、ねこちゃんたちに生をつないでもらった。

おれの半生は、まるで、防御率のいい中継ぎ陣で辛うじてゲームを成り立たせている阪神タイガースみたいだ。

*

これ以上、思念を掘り下げるのは祝席に似つかわしくない。おれは今日、運転免許のうっかり失効の更新と、少し前から始めている「百万円たまる貯金箱」の小銭の預金に、海浜幕張方面に出向いた。

これから毎月、お嬢の口座に振り込むのである。

本来は、「ごつい」おれの生命保険の受取人をお嬢にする算段があるべきだった。今日も、東京三菱の窓口で何とかならんのかと掛け合ったが無駄だった。

無駄を知っていても、じたばたと掛け合わなくてはならないことがあるのである、諸君。うるせえ馬鹿野郎。

*

「(川崎方面に新居を構える)これからは、はなちゃん、くーちゃん、みーちゃんに会いに行く機会がいままでよりも少なくなりそうです。それでも、何とか時間をとって会いに行こうと思います」

お嬢のメッセージの末尾には、そう添えてあった。

*

結論は、簡単だ。

不幸はおれの側に。

黒塗りの高級車は今後、一切合切おれのところに来るだろう。

おれのくーちゃん

足元少し離れた床の上

ひんやりプレート

くーちゃんが目を細めて扇風機のリズムを心地よさそうに浴びている

お尻にはエアコンの風がそよぐ

くーちゃんは生を疑ったことがないはず

それがおれの務め

 

ねこは詩や歌や文学に近かろう

生をそこそこの頻度と精度で疑う人

疑い抜いたつもりが跳ね返され

やわらかいそれ自体は手に掴むことができない

 

くーちゃんがなぜこんなおれに懐いてくれるのかわからない

けれど

おれはおれのくーちゃんに何をすべきか

心得ているつもり

 

足音を立てないように

ダンボールを直し

水を換え

砂を換える

 

やわらかい琥珀衆(こはく。このみちゃん、はなちゃん、くるみちゃん)

生の凝視を和らげてくれる

穏やかな寝顔

おれのくーちゃん

 

少し

風を通そう

ねこよ

ねこよ

その内側から光を放つ

生き物

ねこよ

*

おれは世界の残りを失うとも

筋肉質の臀部から放たれる光に

導かれ

砂の野を

*

たとえ貴君らが

トイレとは少し外れたところに

米異なりて

生の営みを放ったとしても

*

君はいま

おれのデスクに

競走馬と見紛うバネ

翔けるのか

そうか

*

「ふにゃあ」と鳴き

額を寄せる

*

ねこよ

暑くはないか

*

なるたけの工夫を

水を

涼を

*

リビアを思い出すがいい

そしてときには

ここ船橋のことを

柿の木の話

今日は、昼間ずっと、柿の木の話をしたいと思って過ごしていた。

goldhead.hatenablog.com

柿の木というのは、青々としていて、腕が長くて、何かを持ちこたえているようでいて、それでいて折れやすい。皮は剥がれ落ちやすい。といいつつ、十分に日の光を当てなければ、薪にもなりにくい。果実は甘いと渋いの丁半博打みたいなところがあって、鎌倉時代あるいはそれ以前からの歴史を備え、しかしカラスに狙われやすく、落ちて崩れた熟し実は、後片付けが手に負えない。

まるで、僕たち私たちの卒業発表みたいだ。

*

おれのばあさんは、秋冬になると、いそいそと柿をもぎり、皮を剥き、細いビニール縄を結って実を通し、皮は筵(むしろ)で天日干し、炬燵で向いては結わえ、向いては結わえを繰り返していた。それは(いまにして思うが)幼いおれにセーターや半纏を編んでくれる呼吸と、ほとんど同じリズムを刻んでいただろうと思う。

軒下にぶら下がった干し柿が、北関東で旬を迎えるのは翌年(よくとし)の2月である。

木皿に、ばあさんは器用に盆栽用のハサミでビニール縄を切った柿を並べて、おれが学校から帰るのを待っていてくれた。

*

待っていてくれたのかどうかはよくわからない。

ばあさんは後にアルツハイマーにかかり、それでも、手は動いていた。おれには何ともいえない笑顔を見せてくれていた。昭和63年、否、平成3年頃の話だ。白い粉をふき、十分にひしゃげた干し柿は、とても甘く、ひとつふたつで腹にこたえる。

そんなことはお構いなしに、ばあさんは、おれがひとつふたつ干し柿を平らげると、干しいもや、甘辛の組み合わせが妙に合う、「柿の種」(ほんものの柿から得られた種でも、寺田寅彦でもない、有名ブランドのおつまみの)を、木皿に足してくれる。秋口には、レンジでチンしたとうもろこしを乗せてくれることもあった。

*

いくらおれでもとても食べきれない。

*

そうこうしているうちに、おれが生まれる前の昭和45年頃から、おれを見守ってくれていた、モチノキや、柏の木たちと並んで、諸般の事情により、柿の木たちの何本かも、伐採され、元の影を留めなくなった。時代が平成に改まって少し経ったころのことである。

諸般の事情とは全共闘くずれの共産党員のプチブルになりそこねた婿養子、つまりおれの父親の、事業失敗の穴埋めの幾ばくかに、それらの樹々と土地が費やされたことによる。

で、あるから、参考までに、平成前期、野郎がまだ意気軒昂だったころ、その件に関しては、互いにさんざんぶん殴りあった。だから恨みつらみはもうない。

*

ただ、もっと、おれは、本家でとれたうるち米や、その芯の部分に、分家で丹精を込めた餡こを入れ、うちの庭でとれた産毛の生えたみどり葉で包んだ柏餅。だとか、いつの間にか軒下で粉をふく干し柿であるとか、とうもろこし(ハニーバンタム)であるとか、アスパラガス、不揃いのイチゴ、キウイフルーツ…それらいまでいう露地栽培の果実を、もっともっと、食べる、食べておくべきだった。

そして、大正震災の2週間ほど後に生まれたばあさんは、なぜ、何のために、何を生きる喜び、支えとして、育てていたのか。おれは、それが知りたくて、確かめたくて、学問をやったつもりだった。

*

おれは昨日今日と、どうかしている。

おれのくーちゃん(窓辺)

カーテンを開け

くーちゃんがそこにいることをわかっているので

おれは「くーちゃん」と

くーちゃんの背に頬を、右の眉を、左の眉を順に寄せる

くーちゃんはおれを怖がらない

「ふにゃあ」

ひとつあくびをして

くーちゃん

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おれは

くーちゃんに話したいことが

たくさんある気がする

でも

夢を妨げてはいけない

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以降、英語の話題はこちらで https://www.toeictogo.press/

前にも書いた気がしますが、前のサイトはDNS設定をしくってブラック認定されてコケたのでドメイン取り直しました。

https://www.toeictogo.press/

英語の話題を期待されて読者登録なさった方もいらっしゃるかと思います。

ここ(dk4130523)では、英語学習/英語教育に関する愚痴ならやりますが、実践的なノウハウは今後やらないつもりです。それらは上のサイトに寄せます。

これは何も宣伝や集客やPV増を狙ってのことではありません。平たくいえばそんなもんはどうでもいいのです。英語の学習法は(理想形から入りますよ)、辞書を丸覚えして、米英に3年くらい留学してきっちり仕込めばそれでおしまいです。世間に流布されているなになに式はほぼすべてインチキとはいわないけれど、次善の策、次々善の策です。

それを、得意げにろくろ回されたらおれだってひとこといいくなるわね。プログリット。お前マッキンゼー出てドヤ顔でこしらえたのがそれかよと。日本語もろくに形がなっていない。

【社長インタビュー】株式会社GRIT 岡田祥吾社長|ペラペラ部

あーもう不幸にもまた黒塗りのそういうことを口にしてしまうおれ。

英語学習なら僕のが確かですよ。ほかに、もっと確かな人がごまんといる。

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ま、それはいいです。

ここは僕の心の置き場です。はてなは日記サイトじゃないのか(憤怒) くーちゃんと、黄金頭さん、それからよよん君のことを、あてどなく、思うままに記していたい。中世古文の話はするかもしれません。いや、するでしょう。古文は売り物にならないからね。でも、おれはそういうのが好きなの。おらおら、中世古文の品詞分解はおじさん日本一だぜって、しょぼんぬ。

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TOEICのサイトは1日1記事は更新していくつもりです。

英語学習なんて大したことない。普段、講義でしゃべっていることを、ロハで(死語)おれだって書いて、フリーランス国際協力師に…

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2019年夏

船橋海神